ロハス村の村長が語る「転職で天職を!」

2012年08月22日

8月18日の「ハロータイムス」に
ロハス村、村長の転職感が記事になりました。






Q:前職はどのようなお仕事を?

 私は、大学卒業後、センコー産業株式会社グループに入社しました。大学時代は、出版や通販に関心があって、センコー産業が出版部を新たに作るという話を聞き、入社したんです。私自身、地域情報誌の出版を描いて入社したのですが、ふたを開けてみると、住宅のチラシ作りでした(笑)。でも、社内報を作ったり、テレビCMを作ったりもするように!そんな折、人材派遣をする子会社を立ち上げるという話を聞いたんです。新しい部門を立ち上げるのであれば、自分でやってみたいとい、社長に申し出た所、すんなり通ったんですよ。 
 でも、実際に立ち上がってみると、担当は、私一人だけだったんです(笑)。何人かでするものだと期待していたのに・・・。最初は、机と電話だけ与えられて、人材派遣会社の立ち上げ準備をしていました。その当時は、人材派遣法ができたばかりだったので、文献もなく、どういう仕組みなのか全く分からなかったですね。それでも、仕組を考えたり、値段設定をしたり、パンフを作ったりして、稼働し始めました。営業も1件、1件廻り、初めの方は大変でしたが、毎日夜遅くまで取り組んでいたら、少しずつ事業が廻るようになりました。24歳から45歳まで21年間働きました。


Q:今はどのような仕事を?

「人と地球を元気に!」をコンセプトにした株式会社ロハスネットを経営しています。健康食品の販売はもちろんのこと、セミナー事業をしたり、コミュニティ作りをしたり、エステ・施術、福祉、メディアなど、いろんな分野で取り組んでいきたいという壮大な夢を持っていますよ。




Q:転職してみてどうでしたか?

 自分で起業して気づいたのですが、自分は何かを創り上げる時が一番好きだし、面白みを感じるんだなと思いました。人材派遣会社を立ち上げた時のように、新しいことをもう一度しようとしているのですが、やっぱり、楽しいですね。
 新しいことを勉強して、新しい知識を得て、新しい友人ができるのは前向きになれますしね。また、新しいことを始めると、これまで気づかなかったことや知らなかったことが多くあることにも気づかされます。もっともっと知識を持たないといけないと刺激を受ける日々です。


Q:鵜川さんにとって仕事とは?

 仕事とは生き甲斐ですね。仕事を通して喜んでもらえたり、何かを達成することができた時には、やはりやり甲斐を感じますね。また、仕事は、好奇心を刺激してくれるものでもあります。
 仕事について考える際には、「自分の仕事は世の中の困ったことに対して何ができるのか?」ということを考えることが大事だと思います。私は、健康に関わるビジネスをしています、商品を「売るためのもの」と考えるのか、「お客様の健康を改善するためのもの」と考えるのかによって、商品に込める魂、商品に対する愛情や姿勢には雲泥の差が生じます。自分がどのように社会に貢献できるのか考えることが、仕事をする上でとても重要ですね。








転職を考えている人達へのメッセージ

 まずは、「自分を知る」ことが大事だと思います。誰にも、自分の特性というのがあります。自分とはどういう人なのか、自分は何をするために生まれてきたのかなど、自分の特性を知れば、自分の心が楽しい仕事とは何なのか、分かりますからね。
 また、仕事とは何か?ということを考えて欲しいですね。仕事はお金をばらっと剥いでみたら見えてくるものがあると思います。お金や待遇を剥いだときにその仕事にどれだけ魅力を感じられるのか、その仕事には何が残るのかを考えて欲しい思います。そうすると、何を大事にして今まで仕事をしてきたのかなど見えてくるものがあると思います。  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 09:33Comments(0)記事

「高松ケーブルテレビ2」で放映されてま~す(本多春奈ちゃん)

2012年04月26日





「高松ケーブルテレビ2」で放映されてま~す。

街歩き…「なんがでっきょんな」

香川の歌姫こと本多春奈ちゃんがロハス村にやって来ました。

メチャメチャ元気の良い春奈ちゃん。

声を聞くだけで元気になります。

水素うどんの食べっぷりも気持が良いです。

ロハス村の村長もいっぱいしゃべりましたよ。

終わったら汗びっしょり!!!

4月29日(日)まで毎日、高松ケーブルテレビ2で放映されています。


【放送日】

毎日

 8:15~、 19:00~

その時間帯以外に

 月22:45~ 火14:30~
 水16:30~ 木11:15~
 金16:30~ 土13:30~ほか
 日23:15~

是非、見てください。


番組で話した「みどりむし」はコチラ
http://lohasmura.ocnk.net/product/359

春奈ちゃんが美味しいと食べた水素うどん「輝」はコチラ
http://lohasmura.ocnk.net/product/273
  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 07:00Comments(0)取材

歌姫がロハス村に来ましたよ!!!

2012年03月04日









昨日、テレビの取材がありました。

香川の歌姫&CM女王の本多春奈ちゃんがきてくれました。

初のロハス村取材。

はじめはどうなるかと思いましたが、本多春奈ちゃんの導きで案外スムーズに喋れました。

「みどりむし」の紹介も出来ました。

水素うどん「輝」も食べてもらいました。

春奈ちゃん・・おいしいおいしいの連発・・・・

とっても良い経験になりました。

春奈ちゃん、皆様ありがとうございました。


番組で話した「みどりむし」はコチラ
http://lohasmura.ocnk.net/product/359

春奈ちゃんが美味しいと食べた水素うどん「輝」はコチラ
http://lohasmura.ocnk.net/product/273  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 09:00Comments(0)取材

「あなたも私も幸せになれる夢」の描き方~坂出倫理法人会

2012年01月31日

坂出倫理法人会

平成24年1月12日AM6:00~7:00


「あなたも、私も幸せになれる夢の描き方!」






おはようございます。

高松南倫理法人会から来ましたロハス村の鵜川と申します。
今日は朝早くからありがとうございます。
まず自己紹介から。
私は自然派の健康と美のお店 ロハス村という通販とお店をしている鵜川秀樹と申します。取り扱っている商品は、経営コンサルタントで有名な船井幸雄さんがこれは本物だと言う「健康食品」や「環境商品」などを扱っています。お店を始めて約三年半になります。
それと、倫理法人会には、入会して三年ほどになります。現在、普及拡大委員長をさせて頂いています。富士研修も去年の8月に行ってまいりました。しかし、今だに卒業出来ていない半人前の私ですが40分程度よろしくお願いします。

さて、本日は「あなたも、私も幸せになれる夢の描き方!」と言うタイトルでお話をするわけですが、私が前職を立ち上げてから軌道に乗り、人間関係でつまづき、不安症になり、とうとう会社を辞めることになり、何とか家族に助けられ、ロハス村を設立し第2の創業に挑戦をしていることをお話いたします。

人材派遣時代

私は、センコー産業という会社に入社しまして、広告の仕事をしていましたが、人材派遣の会社を作ると言う事で白羽の矢が立ちまして、私一人、右も左も分からないままの机と電話一台の出発でした。

若い私は朝は8時から。 夜は10時、11時まで毎日毎日一生懸命働きました。
当時、人材派遣はまだまだ無名の業界で飛び込み訪問をしても「人売りか?」などと傷つく言葉を何度もあびされました。

それでも前へ前へ

だんだん仕事も注文を貰えるようになり、社員を雇えるようになりました。
ところが雇った社員がすぐ辞める。また雇っても文句を言って辞める。風邪で休んだまま行方不明になった社員もいました。

まあー暗中模索のひどい時代が10年くらい続いた頃でしようか?
やっと、社員も定着をし始め10名程度の所帯になっていたころ、ある会の委員会で・・・・香川さんはその会の委員長で私は副委員長をさせて頂いていました。

夢を紙に書けば叶う

あの香酢で有名な通信販売の「やずや」の当事の社長が香川県に来てくれ経営指針書の勉強会をしてくれました。
君は、どっちの方向に向かって走るのか決めたかって言うんです。
そして、九州に行くのか?東京に行くのか決めなければいけないと言うのです。
まずは、私はこっちの方向に行くと決めることが大切なことだと教えてくれました。

また、鵜川君夢はでかいほうがいいぞぉーー。
私は毎年30%成長をかかげているんやーーー
そして、夢は紙に書かなんだらいかんでぇ。と言ってくれ
早速、私は事務所のレイアウトを勝手に書き夢を持ちました。
すると半年後に念願の中央通に事務所を移転する事ができました。

その時に教えてくださった社長様は無くなりましたが、奥様が後を引き継ぎ当時売上げが30億円程度だったやずやさんは現在460億円をたった70人で稼いでいる超優良企業になっています。

親会社が会社整理

ところが・・・
センコー産業は兵庫銀行の子会社で兵銀が神戸の震災で戦後初の銀行倒産になり、センコー産業も会社整理になってしまいました。沢山ある子会社もほとんど潰れてしまいました。
ブレインズは、何とか無事でしたが、50人いた同期はテンデバラバラになりました。

その後も色々な体験をしました。

事故にあい入院をし、もっと他人に任せなんだら駄目やとか!
2つ年上の従兄弟が亡くなったことも大きかったです。
人間はいつ死ぬかもしれないと実感をしました。

そんな体験でわたしが考えたのは「自分がいなくても回る会社を作る。」でした。
それぞれが責任を持ってイキイキと働ける会社をイメージして経営指針書を作りあげました。

そして、権限委譲もドンドンとやっていき、理想は「私がいなくても回る会社」を目指していました。私は、判子まで経理に渡しモット会社を有名にしょう。モット会社を大きくしょう。と経済同友会などにもはいり、会社の知名度アップに力を入れました。
ところがそれは、権限委譲ではなく丸投げ状態になっており、気が付いた時にはお神輿に乗ってハシゴをはずされた状態になっていました。

「心臓がバクバク」して大変な事に

人間関係のドロドロした中で私は追い詰められ、ある日「心臓がバクバク」して大変な事になりました。
それまで心臓は勝手に働いてくれて意識することは無かったのですが、いったん心臓がバクバク言い出したらどうしょうかと思います。いくらとめようと思っても止まらないんです。知識のない私はせいぜい「救心」でも会に行かねばと思ったくらいで、友達に電話をするとそれは精神的なもんやと言われ、心療内科に行ったほうがいいでと言われました。私は、心療内科やなんて精神病みたいで嫌やわーと言うと友達が、何ヨン。俺も言ったことあるし、今は内科みたいなもんでみんな行ってるでぇと言うんです。

しぶしぶ、病院に行くと不安症。要するにまさこさまと同じ病気ですと診断され抗不安剤をくれ、毎日一錠飲むようになりました。3ヵ月後には薬は、1錠から2錠に増え、先生は軽い薬というのですが、お酒を飲むとすぐに酔うようになり、タクシーで帰って細道を歩いて帰るのですが家の前の川に落ち込み手を擦りむき、背広はズタズタ。。。
これはマズイと思いました。

私は、これは絶対、お医者さんは軽い薬と言うけど抗不安剤のせいやと思い、翌日から薬は一切止めのした。
そして、船井幸雄さんの本でも紹介をされていたパパイヤのバランスサプリメント「カリカセラピPS-501」を飲むことにしました。すると朝の寝汗をかかなくなり、体も元気になったように思います。

その後、私はドロドロの私の置かれたポジションから離れる決心をしました。

私は夕方その日は早々と家に帰り、まず家族に会社を辞める事を告げました。私は自分のふがいなさに腹が立ち「うおん うおん」と泣きました。
かあちゃんゴメンーーーーもう限界やーーー

妻は何も言わず、ひとしきり泣いた私に「ごはん食べよ」と言ってくれました。

ロハス村の話



「カリカセラピ」で不安症を克服できた私は、この「カリカセラピ」を扱っている船井幸雄さんが会長の本物研究所の代理店になることにしました。
そして、第2の仕事は人助けをしてみんなが笑顔になってくれるような仕事をしたいと心から思いました。
人間不思議なもんで、立つ位置をかえたら出会う人や入ってくる情報も変わってきました。

まず出会ったのが、環境活動をしているNPO法人の地球村の高木代表でした。
彼は、講演の中で、

● いま人類が作ったフロンなどの影響でオゾン層が破壊され有害な紫外線が増え白内障や皮膚がんが増加していること。

● 森林の成長するスピードの10倍以上の速さで森林が破壊されていること。

● 日本の割り箸が98%中国の木を切って出来ており、使い捨ての割り箸を使うごとに中国の森林が破壊されていること。を知らされました。

また、自殺が10年以上連続で3万人を超えていることも知りました。
それは、交通事故死の6倍もの人数になるそうです。

また、食料の偽装問題、農薬が人体と自然に与える影響、近い将来資本主義が崩れ共感とか繋がりの方向に時代は流れていくであろうと言うような情報も入ってくるようになりました。

私は、会社の名前にロハスという言葉を頂きました。

ちなみにロハスとは

Lifestyles ライフスタイルズ
Of
Health ヘルス
And
Sustainability サシィティナビィリティー


健康的で持続可能な資源の使い方をするという直訳で1990年後半にアメリカで産まれた言葉です。
そして、お店の名称を、先ほどお話をした「地球村」から村を拝借してロハス村と親しみやすくつけました。
そして、私はロハス村の村長になりました。
ロハス村の思いは、「健康で笑顔の人を増やすと言うことです。」
そのためには、人間同士が仲良くすることを一番大切にしたいと思いますし、そう伝えて行きたいと思います。

私は、先ほども申し上げましたが、人間関係で不安症という病気になり、気弱になればなるほど攻め込まれ、車に乗ったまま事故になったら、どんなに楽だろうと思ったこともあります。しかし、あたたかい家族のおかげで第二の人生を歩むことが出来ています。
自殺者が3万人を超えてもう14年がたちました。僕の昔がそうであったように、自殺をしてしまうのは「ココロが死んでしまうからです。」

私は、今ココロもカラダも健康で笑顔の人を増やす仕事をしています。

そして、今わたしが考える「元気になる方法」や「幸せになれる夢の描き方」を申し上げます。間違っているかもしれません。

いま、なでしこジャパンを筆頭にとにかく女性が元気です。倫理法人会でも女性が元気です。
何で、女性が元気だと思いますか?
それは、女性が変化に強いからだと思います。

いま、世の中は政治、経済、環境、暮らし、全てにおいて変化をきたしている時代です。モースピードで変化をしています。
男性は、この変化について行けず、しがらみでドンドン元気が無くなっているように思えます。

その点、女性は人生そのものが変化に富んでおります。
例えば結婚をすれば名前が変わります。
子供が産まれれば仕事を辞め、落ち着いたらまた、別の仕事をします。
中には起業をする人さえいます。

男性なら名前が変わるなどトンでもありません。
本当は、男性もドンドン変化に挑戦をすれば女性のように元気になるかもしれません。僕もロハス村と言う変化があったので元気になれました。

また、最近思うのは人は皆繋がっていると言うことです。
だから、一人で儲けようとか、独り占めをしようとか思ってもそんな夢は叶わなくなっています。
もし、叶ったとしてもスグにしっぺ返しが来ます。
そしたらどのような夢がいいのか?

それは、皆が幸せになるような夢です。
先ほども言った様に人は繋がっており、植物も動物も地球全体が繋がっています。
だから、皆と言うのは地球全体が喜ぶような「夢」なら叶いやすくて幸せに近づけると言うことです。

あなたも私も幸せになれる夢の描き方


小冊子が出たエピソードをします。

私の仕入先、本物研究所では「あなたの夢のお手伝い」としょうして毎年ドリームメーカープロジェクトというイベントが開かれています。
私も一去年、販売店さんの体験談を書いた小冊子を書いて「日本中を元気にしたい」という企画を出しました。
販売店さんの多くはモトサラリーマンをしていたり、経営者だったりと前職を持っており、中でもリストラ、離婚、倒産、病気など色々なご経験をして本物研にたどり着いた方々が多いのです。その体験を書いて皆を勇気付けたいと言う意向でした。
おかげさまで、「共感賞」を頂き、この企画は本物研さんが手助けしてくれることになりました。
と言ってもお金を出してくれるものではありません。

その後、企画は進まないまま保留になっていました。

3月11日。

震災が起きました。
今こそ、「だいじょうぶだょ」の小冊子を出そう。そして、皆を励まそう。
そして、この本を売ったお金は全て支援金にまわそう。と言う企画で小冊子プロジェクトはとうとう動き出しました。
販売店さん、メーカーさんに電話をして「どうかアナタのだいじょうぶだょメッセージを書いてください」私は一人ずつ電話で頼みました。そして、なんと100人ものだいじょうぶだょのメッセージが集まりました。そして、メーカーさん販売店さんの寄付のおかげで小冊子は出来上がりました。



いよいよ、9月10日11日にんげんクラブ全国大会で初販売です。
なんと!    2日間で1400冊も売れました。
そして、クリスマスまでに3000冊が売れてクリスマスプレゼントとして「地球村」さんに寄付と売れたお金90万円を寄付することが出来ました。
ロハス村の村を頂いた地球村さんに、こんな形で恩返しが出来た本当にありがたかったです。
後、2000冊ございますのでもしよかったら一冊250円ですのでお買い求めください。

それで、以前の私ならこんなことは出来なかったと思います。でも、これが出来た自分がいる。これはみんなのおかげで出来ました。このプロジェクトを通じて「みなんが繋がっている。繋がっているということを本当に意識できました。
そんな事を感じながらお仕事をさせて頂いています。

後ですね。

私どものほうで、どんなことをしたいかと言うことを申し上げて最後にしたいと思います。

まあ、短い時間でしたのでどこにスポットを当ててお話をすればいいか迷いましたけれども、私は今のような思いで、健康で笑顔の人たちを増やしていくと言う思いで仕事をしています。

●まず、物販のほうでは、本物のサプリメントや健康食品を取り揃えているのでこれらを利用して健康なカラダの人が増えたら良いと思っています。

●また、ココロの方面ではライフカラーカウンセラーという免除も取りましたので、50問の設問に答えていただき、その答えから現在お客さまが囚われていることであるとか、将来このような考え方や性格をしているとなりやすい病気があるので、このような食事を取るようにアドバイスします。

●また、社長様ばかりではなく、社員も勉強が出来るようにと「出前セミナー」と言う企画もしています。これは、社内の中でうつが出たらどうしたらいいか?社内でコミュニケーションが下手な方がどのように取ればいいかなどなど会社の応接室を借りて社員様にお話をさせていただきようにしています。

●後は、「ロハス村の寺子屋」と言う起業家のたまごの勉強会をしています。やっぱりこれからは個人個人が独立をして働く時代が来ると思っています。でも、一人で仕事をしているとどうしてもモチベーションが下がるので一ヶ月に一度集まって悩みなどを聞いて人生の先輩としてアドバイスをしています。

●ネットを使って弱者が勝てるビジネスモデルを作ってみたいと思っています。

●そして、来期は法人取引を開始しようと思っています。企業にいる時間はすごく長いです。ですから出前セミナーや当社の商材と私の人脈で法人の社員様を健康で笑顔にするお手伝いが出来るロハスクラブ的なサービスを現在考えています。

こんな事を考えて今後ともがんばりますのでよろしくお願いいたします。



★坂出倫理法人会のブログでも掲載されています。
http://rinri-ks.blogspot.com/2012/01/blog-post.html  


Posted by ロハス村 at 10:32Comments(0)講演

「あなたも私も幸せになれる夢の描き方!」同友会例会

2011年11月12日



中小企業家同友会 高松第4支部 11例会の発表

11月10日に私が講師になって「あなたも私も幸せになれる夢の描き方!」を例会で発表さて頂きました。

ダイジェストでお伝えいたしますと。

自己紹介

さて、私はロハス村を始める前に人材派遣の会社を約21年間営んでいました。
ところが、人間関係などで心身ともに疲れ果て辞めました。

その頃の私は飛べないノミでした。

「のみ」の話

居酒屋てっぺんの大島さんの講演に「ノミの実験」という話が出てきます。

ノミは1メートルという、自分の身長の何10倍もの高さをジャンプする
すばらしい能力を持っています。

ある学者さんが、このノミを高さ30センチのビンに入れて、
ガラスのふたをしてみるとどうなるか、という実験をしました。

ノミは、1メートルのジャンプをしようとしますが、
ガラスのふたがあるために、30センチの高さで頭をぶつけて、
それ以上飛ぶことができません。
何度も頭をぶつけてしまううちに、このノミは、
しばらくすると30センチ以上飛ばなくなってしまったそうです。

その後、ガラスのふたを取ってあげても、
このノミは本当は1メートルジャンプする力を持っているのに、
30センチの高さでしか飛べなくなってしまったそうです。

そして、
「この飛べなくなってしまったノミの姿は、
失敗や挫折を繰り返して自分の能力を
信じられなくなってしまったお前の姿そのものだ」、
と先生は当時の大嶋啓介さんに言ったそうです。

確かに、僕たちは失敗や挫折を何度も経験していくうちに、
勝手に自分の中で限界を決めてしまい、
これ以上やると痛い目にあう、
これ以上やると失敗してつらい目にあう、と思い込んでしまっているようです。

そして、生まれつき持っている自分の才能を
100%使わないように自分で自分をセーブするようになっているのです。

これを、「心理的限界」と呼ぶそうです。


この話はここから続きがあります。

このノミを、再び1メートルの高さまで飛べるようにする方法があるということです。

自分の能力に気づかせ、自信を与え、
再び1メートルの高さをジャンプできるようにする方法、
何だと思いますか?


・・・「飛べ、お前ならできる!」
と励ますことではありません。ノミには言葉は通じません。

・・・「クスリを打つ」
という答えを出した人がいたそうですが、これも危険なので違います。

・・・僕の知り合いには、
「3メートルの高さから落とす」
というスパルタ思想の人もいましたが、これも違います。


答えは、
「1メートルジャンプできる仲間のノミを
同じビンの中に入れてあげる」

でした。

自分と同じノミが、元気にぴょんぴょんジャンプしている姿を見れば、
こいつにできて俺にできないはずはない、と気づくことができ、
一緒に飛んでいくうちに元の力を取り戻すことができるということです。

人間で言い換えると、
自信をなくしてしまったら、
輝いている人のそばに行けばいい。
一緒にいれば、自分にも無限の可能性があることに気づき、
その可能性を引き出すために、
自分自身で努力して自分の殻を打ち破れるようになる、
ということです。

飛べない「のみ」から飛べる「のみ」へ

飛べるノミになるために私か実行をした方法は。。。

1.言葉の力を借りました。

いい言葉は、世の中にあふれています。
それらを一文字一文字自分の心の中に入れ込んでいきました。
今では、元気を頂いた言葉を筆で書き、「震災応援メッセージとして」流しています。


2.元気な人のグループに参加。

とにかく元気な人のグループに参加しました。
高松祭りでは「あしたさぬき連」に参加して踊りました。
そしてね今年はなんと優秀賞を頂きました。

アルッテ芸術祭では「青鬼くか」のきぐるみにもはいりました。

そんな、無茶振りなことにも躊躇せずに参加をしていると
今までの人脈以上に主婦の方や学生さんとも友達になれました。

人は知り合った数だけ幅が広くなると言うか考え方も柔軟になりました。

3.同友会のメンバーにも助けられました。
 
新しい船出だといって 、パーティーまで開いてくれました。
そのおかげで、引き続き同友会の例会にも参加できました。
そして、メンバーの挑戦をしている話を聞いて私もモチベーションを上げました。

飛べる「のみ」になる努力をしている時に思ったこと

私くらいの年になると皆後半の人生を考えます。
しかし、現状を変えれないのが男性です。
だから、そのしがらみでドンドン元気を奪われています。

その点、女性は人生そのものが変化に富んでおります。
例えば結婚をすれば名前が変わります。
子供が産まれれば仕事を辞め、落ち着いたらまた、別の仕事をします。
中には起業をする人さえいます。

男性なら名前が変わるなどトンでもありません。
本当は、男性もドンドン変化に挑戦をすれば女性のように元気になるかもしれません。

また、最近分かってきたことは人は皆繋がっていると言うことです。
だから、一人で儲けようとか、独り占めをしようとか思ってもそんな夢は叶わなくなっています。
もし、叶ったとしてもスグにしっぺ返しが来ます。
そしたらどのような夢がいいのか?

それは、皆が幸せになるような夢です。
先ほども言った様に人は繋がっており、植物も動物も地球全体が繋がっています。
だから、皆と言うのは地球全体が喜ぶような「夢」なら叶いやすくて幸せに近づけると言うことです。

あなたも私も幸せになれる夢の描き方



小冊子が出たエピソードをします。

私の仕入先、本物研究所では「あなたの夢のお手伝い」としょうして毎年ドリームメーカープロジェクトというイベントが開かれています。
私も去年、販売店さんの体験談を書いた小冊子を書いて「日本中を元気にしたい」という企画を出しました。
販売店さんの多くはモトサラリーマンをしていたり、経営者だったりと前職を持っており、中でもリストラ、離婚、倒産、病気など色々なご経験をして本物研にたどり着いた方々が多いのです。その体験を書いて皆を勇気付けたいと言う意向でした。
おかげさまで、「共感賞」を頂き、この企画は本物研さんが手助けしてくれることになりました。
と言ってもお金を出してくれるものではありません。

その後、企画は進まないまま保留になっていました。
3月11日。
震災が起きました。
今こそ、「だいじょうぶだょ」の小冊子を出そう。そして、皆を励まそう。
そう考えて企画はとうとう動き出しました。

メーカーさん販売店さんの寄付のおかげで小冊子は出来上がりました。
いよいよ、9月10日11日にんげんクラブ全国大会で初販売です。
なんと!    2日間で1400冊も売れました。
発売開始から2ヶ月・・・3000冊以上売れていると聞いています。
私の今の目標はクリスマスまでに5000冊売り切って全てのお金を寄付したいと思っています。

このプロジェクトを通じて「みなんが欲得を超えて良い仕事が出来た。良い夢をみれた」と思っています。

2年まえの夢のつづき

2年前に発表をしたときの夢です。

●この地域を健康で元気な街にする。

●HPを作りインターネットで通販をする。

●ロハステレビショッピングをする。
you tubeなどで配信がただでできます。弱者でも個人でもテレビショッピングが出来るという証明をしたいと思っています。

●香川県人を健康にするための「香川ロハス健康クラブ」の設立。

●自然化粧品のエバメールのエステサロン

●ロハスコンセプトに基づいたショールームを持つ。

●健康、環境、人生などのセミナーを開きたい。

●小冊子を作り、いずれは本の出版をしたい。

●自分が健康食品など作り手、メーカーになりたい。

この中の3分の2位は実現が出来ました。
紙に書けば本当に実現が出来ています。

21世紀型ネットワーク型経営とソーシャルメディアマーケティング



未来年表を見ながらロハス村の将来を考えてみたいと思います。

この表からもお分かりのとおり、エネルギー問題、高齢化、環境問題、グローバル化など今のままの延長戦だけで物事を考えるのは難しいことが分かり、商品寿命も短くなりつつあります。

対策として、ロハス村の小さくて小回りのきく会社の特性を生かして、その時その時手を組みながら大きい仕事が出来たら良いと思います。
そのために必要な能力は何かと言うと、誰とでも仲良くできる能力です。
自分だけ、今だけの考えでは誰とでも組むのは無理です。

また、今流行のSNSを駆使できるかどうかでスモールオフィスの繁栄が左右されます。
ブログ、ツイッター、YOUTUBE、FACEBOOK、USTREAM等無料のものを大いに利用します。

この方法こそが、弱者が強者に勝てる戦略だと思っています。
また、これらのSNSを最大限に利用するためには表現力が必要です。
自分をどう表現するのか、商品をどのように表すのに工夫が要ります。

ロハス村も右脳をバンバン働かせながら未来に向けて皆が幸せになれる夢を描きたいと思っています。


  


Posted by ロハス村 at 15:00Comments(0)講演

モデルデビュー!讃岐の石田純一「まちかど漫遊帖」出演

2011年09月25日





石田純一のファンの方、すみません。

穂果先生が「讃岐の石田純一」だといってくれているので使わせていただきました。

実は村長。

香川県では有名な「まちかど漫遊帖」でモデルデビューしました。



「まちかど漫遊帖」とは、まちの「面白いところ」「珍しいところ」など地元のガイドさんが色々歩きながら教えていただけるガイドブックです。

そして、村長のモデルデビューは突然に到来しました。

あれは、あしたさぬきの踊りの練習日。

るいままが、穂果先生と打ち合わせをしていました。

突然、村長呼ばれ。。。讃岐の石田純一さんモデルになって~なんて言われ

ついついカシャ、カシャ 写真を撮り続けます。

あんな形や、こんな形

出来上がりがこれ!








2ページに渡って掲載されています。

ビックリです。

また、ココで言っておきたいのが、穂果先生の上記の指導で本当に一瞬でカラダの重心が変わりキレイに歩けますので是非お試しくださいね。


村長のモデルデビューでした。ダッシュ  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 13:00Comments(1)記事

「にんげんクラブ」の月刊誌でロハス村が紹介されました。

2011年08月12日





「にんげんクラブ8月号」でロハス村が紹介されました。

全国のにんげんクラブのメンバーの方にお読み頂けるとは、本当に感謝です。

さて、雑誌をご購入していない方にも私の部分だけコピーしましたので掲載します。







少し中身が読めないので文章を起こしました。

「だいじょうぶだョ!日本」
~たった一人の声からはじまった希望の光~

たった一人のかけ声から
それは、たった一人の声から始まりました。
二年前のにんげんクラブ関西大会(京都)の会場で、私は“この”構想をお聞きしました。そのときは、「いつかきっと実現できるといいですよね!」って、お別れしたことを覚えています。
そして、昨年のこと。本物研究所販売店が年に一回全国から集う「夢☆叶ミーティング2010」の夢のプレゼンテーションで、その方からより具体的な“夢”としての発表があったのです。
本物研究所では、毎年、全国の販売店から夢の作文を募集しています。皆さんから集まった作文は、社内投票とネットでの公開投票で、三名までしぼられます。そのお三方が、この「夢☆叶ミーティング」で発表されることとなっています。さらに、私たちは、このお三方の夢の実現に向けて、“ドリームメイカーズ”というプロジェクトチームを結成します。ある夢は軌道に乗せるお手伝いを、また別の夢はカウンセリングやコーチングを行い、さらに別のものは共同でつくりあげていったりします。
本物研究所は、船井幸雄会長の強い意思で、皆さんとともに、明るい未来をともに描いていくために生まれた会社です。したがって、私たちは、縁あってご加盟いただいた販売店様をいろんな角度から応援していきたいと考え、実行するようにしてきました。その一つの形が、このドリームメイカーズ・プロジェクトということです。

「だいじょうぶだョ!」原稿協力のお願い
私たちは、この方の夢を応援することとしました。早速、他の販売店に協力を依頼するお手紙を書いていただきました。
そのまま引用させていただきます。

はじめまして、私はロハス村という㈱本物研究所の販売代理店をしている鵜川秀樹と申します。

この度の東北地方太平洋沖地震により被災されました方々に、心よりお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々ならびにご遺族の皆様に、深くお悔やみを申し上げます。被災された地域の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

震災以来、なんだか私を含めて周りの雰囲気がザワザワしています。何かをしなければならないとか、このままで日本は?自分の未来は?大丈夫だろうかと不安に駆られたり、復興に疲れはじめ、あきらめムードになられている方もいらっしゃいます。

でも、こんな時だからこそ隣の人に友達に自分に「だいじょうぶだョ」って声を掛け合いませんか!

 私は、過去に人に裏切られ、心療内科通院まで追い込まれ、元の会社を退職する羽目になりました。その時、私の心を助けてくれたのが妻の「だいじょうぶだョ」という言葉でした。
「だいじょうぶ」という言葉には人を安心させる魂の力があるのでしょうか。

ココにおじいちゃんの言葉がお孫さんの人生を導いた一つのエピソードがあります。

『僕を支えた おじいちゃんの言葉』

僕が3歳のとき、父が亡くなり
その後は母の実家に帰り、
おじいちゃんが僕とよく遊んでくれた

仕事で毎日遅い母にかわって
おばあちゃんは夕ごはんを作ってくれた

僕とおじいちゃんは夕ごはんができるまでの間
毎日のようにお散歩を楽しんでいた

家の近くをのんびり歩くだけの散歩だったけど、
僕の世界はどんどんひろがり、
新しい発見や楽しい出会いがあった

でも一方で、父がいなくなった淋しさや
困ったことや恐いことにも出会うようになり、
なんだかこのまま大人になれそうにないと、
思えるときもあった

そのたびにおじいちゃんは僕の手を握り、
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」
とおまじないのようにつぶやいてくれた

それは、この世の中、
そんなに悪いことばかりじゃないってことだった

小さなぼくが不安な気持ちになると、
いつもおまじないの言葉で助けてくれたおじいちゃん

おじいちゃん、ありがとう
僕はおじいちゃんの「だいじょうぶ だいじょうぶ。」っていうおまじないの言葉にどれだけ助けられたか

今、おじいちゃんは病院のベッドでゆっくり眠っている
「だいじょうぶ だいじょうぶ」
今度は、僕がおじいちゃんにおまじないの言葉をいうよ

元気になったら、また散歩に行こうね
 
いかがでしたか?
「だいじようぶ だいじょうぶ」
無責任だという方がいらっしゃるかもしれません。でも、私は思います。こんな不安定な時代だからこそ、「だいじょうぶ だいじょうぶ」と声を掛け合いカラダとココロの力を抜いて助け合いながら皆で未来にむかって行きませんかって。

私一人ではなにも大したことはできません。でも、今この手紙を読んでくださっているアナタと一緒になら何か日本を元気にするようなことができるのではないかと思います。

そこで提案です。1ページにアナタの「だいじょうぶだョ」メッセージや体験を書いて応募してくれませんか。文章でもポエムでも書道でも絵でもアナタの得意な表現方法で「だいじょうぶだョ」を表現してほしいのです。読んだり、見たりすると元気が出る、安心できるモノなら何でもOKです。
 
また、被災された方たちの中からも、今回の皆から受けた援助に関してのお礼とこれから生きていくメッセージを伝える場がほしいという声も上がっています。

みなさんが主役です。みんなで、みんなで「だいじょうぶ だいじょうぶ」という安心メッセージをドンドン寄せてください。そして、私たちはそれを本にして、日本中の人たちに「だいじょうぶだョ」をメッセージすると同時に販売し、本の制作費等を差し引いたお金を義援金にまわしたいと思っています。まず、行動をしてみる。そこからはじめたいと思います。

日々、お忙しいことと思いますが、未来の子どもたちのためにも日本を元気にしましょう。
よろしくお願いいたします。
感謝
 
全国から集まった素敵なメッセージたち
このかけ声に賛同し、何と150通ものメッセージが集まりました。船井会長、船井勝仁社長からはもちろん、私たちのお取引先メーカーさんや、「えっ、あの方も!」という著名人まで……。
何か力になりたい!何かできることがあれば…とお考えの方もたくさんいらっしゃると思います。そんな思いにも、お応えできると思います。温かさとやさしさに満ち満ちた、真心のメッセージ集を、大事な方に差し上げていただくだけです!
 
いま、急ピッチで編集し、小冊子として制作中です。にんげんクラブ全国大会(9月10、11日、パシフィコ横浜)にて、デビューします。二冊単位でお買い求めいただき、一冊は大事な方に差し上げていただこうと思っています。
 たくさんの「だいじょうぶだョ!」を拝読しているとは、「だいじょうぶ」はやっぱり魔法の言葉だなって確信しました……。

ほんものは…
「強い思いから生まれる。初めは一人の思いでも、伝えると、同じ波動が引き寄せて、大きく育っていくものです。」
  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 22:00Comments(0)記事

タウン情報かがわに「ロハス村」が掲載されました!

2011年06月25日

じゃじゃーん。



中身はこんな感じだょ~



モット詳しく見ると~




僕が学生時代から読んでいた「タウン情報かがわ」

僕が読んでいた頃は、あの 有名な麺通団の団長!うどんプロジューサー!田尾和俊尾さまがタウン情報香川の編集長をしていたころです。

色々なコーナーがあって楽しい誌面になっていました。

そんな香川県では代表的なタウン情報誌に、このたびロハス村のブログが取材されました。

感激です!


学びあり、笑いあり、感動あり、人・店・物の紹介あり、
ロハス村の村長が皆さまに元気情報をお届けします。


ココロとカラダの美と健康ブログ!

ロハスス村は、人のココロ
とカラダに優しい自然派の美
と健康のお店として健康食品
とか、地球に優しい洗剤や石
けんなどをインターネットや
お店で販売をしています。
「あしたさぬき」をはじめた
切欠は、ロハス村をより多く
の人に知ってもらうためです。
 早速、ブログ始めたものの
コンピューター音痴の私にと
って分からないことだらけ。
そこで、あしたさぬきのブログ
教室を受講しました。そこから
は毎日記事をアップしました。
ある日、突然ブログを見て
ブロガーの方がお越しくださ
りました。妻ともどもお客様
と意気投合をして気が付けば
三時間も経っていました。事
前にブログで見て下さってい
るので、初めてお会いしたに
も拘らず以前から知り合いみ
たいな雰囲気にしてくれるの
もブログの良いところです。
 子供の頃、雑誌を作るのが
夢でした。その夢がブログと
いう形で全国のみんなに情報
発信でき、夢をかなえること
が出来ました。

ブログQ&A
ブログは、お店の情報発信のメディアです。面白楽しく
イベントや新商品の紹介などドンドン記事をアップしま
しょう。そして、記事の中で自分らしさを出せばOK!


内容は上記このような感じで書いてくれました。

昨日あたり、記事を上げていなかったのにアクセスが多かったのは「タウン情報かがわ」に出たからでしょうか?

感謝感謝  


Posted by ロハス村 at 22:00Comments(0)記事

~ 幸せライフカラーカウンセラーのご案内 ~

2011年05月14日





はじめまして、私はライフカラーカウンセラーの鵜川秀樹と申します。

まずは私の自己紹介をさせてください。

21期連続黒字化社長から一度どん底に!

 「40歳が私の心と体の健康の分かれ目でした!」
  
 私は24歳から人材派遣の会社を立ち上げ約1万人の人とお話をしてまいりました。

その中で全ての人が何らかの不満を持ったり、悩んだり、体の不調を訴えたりと生きる大変さを知ると共に私なりのアドバイスをしてまいりました。

ところが、私も人間関係で体調を崩し健康のありがたさを嫌と言うほど味わいました。

そして21年間続けていた会社を辞め、新たに「体・心・環境・地球の元気」をテーマに船井幸雄グループ㈱本物研究所の正規代理店としてロハス村を始めました。

また、私の人生の経験を元に陰陽五行論と予防医学の基礎知識の考え方を合わせた独自のカウンセリング手法のライフカラーカウンセラーとして活動をしています。

 私は、学校、企業、団体等でビジネスのことや幸せになること、健康のことなど色々なお話をさせていただいています。
もし、面白そうだと感じられましたらご連絡をください。

講師料は1.5時間2万円程度です。ヨロシクお願いいたします。


ロハス村内
連絡先:0120-683-184まで




  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 08:30Comments(1)講師紹介

《香川県中小企業家同友会》の同友かがわに掲載された!

2011年05月01日

掲載されました!






私、香川県中小企業家同友会で勉強をさせていただいています。

そして、通販部会に所属しており、その部会の関係で「同友かがわ 2011 no.406」に私の文章が掲載されました。

同友会の雑誌はこんな感じです。



下記のページです。
↓ ココをクリックして拡大




読みづらかった方のために原稿をコピーしておきますね。

私の商売の出発は人材派遣で21年間やってきました。ところが色々なことがあり、2年半前に『体と心と家族と地球の元気』をテーマに船井幸雄さんがおススメしている本物のサプリメントやエコ商品を店舗とインターネットでの通信販売を業務とするロハス村を始めました。

● サービス業から小売 ● 派遣から健康食品の販売 ● 一取引の金額が数十万円から何百円 ● 企業からパパママショップ ● 地元密着から日本全国● 対面販売からネット販売 ● 有名から無名。

まぁー最初は右も左も分からないことだらけ、商売をするにも、これほど間逆の変身は失敗するモデルだと思います。


人間冷静に見ればよく分かること、学生でも分かりそうなことですが、人生には流れがありまして、理屈では割り切れない感情が私を動かしました。やると決めて初めにやったのが通信販売の教材を購入することからです。そして、WEBの家庭教師も雇いました。これを勉強すれば数ヶ月すれば、ある程度は軌道に乗るだろうというくらいしか考えていませんでした。ところが世の中はそんなに甘くありませんでした。ホームページ作成時には45歳を過ぎるおじさんがコンピューターとにらめっこ。そして、ブラインドタッチでもない私の腕が腱鞘炎になりかけたこともありました。そんなこんなでやっと出来上がったホームページ。(半分はプロに頼みました。)いっこうに注文は来ず、来たと思ったら身内ばかりでした。グローバルな商売をしたくてインターネット通販を始めたはずなのに注文は昨日あった友人や同級生ばかりでした。


 こんな私が、鳴かず飛ばずの時に始まったのが香川県中小企業家同友会での「通販部会」でした。私は川西さんのお誘いを受け真っ先に登録をさせて頂きました。そして、まず初めに安心をした言葉が諸先輩方の「ネットの世界も三年位は我慢が必要ですよ」でした。それまでの私は一喜一憂の連続で腹が据わっていなかったように思えます。あせっていたのでしょう。


そして、通販部会に毎回出席させていただき、「運送会社によってかなり運賃が違うこと」「クレジットを採用したほうが反応が良いこと」「あえて地方色を出すこと」など少しずつ教わったことを実行していきました。また、当社が販売している自然派のエバメール化粧品をどうすれば売れるかを女性の方々が優しくアドバイスをしてくれました。


現在は、①ブログ ②ツイッター ③YOUTUBE ④FACEBOOK ⑤USTREAM等を使って日本全国に物販と共にロハス村のロハス生活の提案をさせて頂いており、少しずつ自分らしいホームページが出来上がりつつあります。

取り上げてほしいページ
コチラから買い物が出来るページです。(ゼトックスといって今月一番人気でこの商品が1個売れるごとに100円義援金を寄付しています。)
http://lohasmura.ocnk.net/product/264

ホームです。
http://www.lohasmura.com/

村長の日記です。毎日更新をしています。最近は「震災応援メッセージ」を毛筆で書いて載せています。
http://lohasmura.ashita-sanuki.jp/e397860.html

ロハス村のテレビ通販番組をYOUTUBEを使って独自に作っています。
http://lohasmuratv.ashita-sanuki.jp/e372237.html

ロハス村のイベント情報です。
http://lohasmuraevent.ashita-sanuki.jp/

ロハス村の村長の講演会等の内容をアップしています。
http://lohasmurapublicity.ashita-sanuki.jp/

  

Posted by ロハス村 at 20:00Comments(0)記事

【セミナー】稲盛和夫の「運命と立命」から学ぶ

2011年03月31日



急遽、ピンチヒッターとして決まった゛あずま~る゛さんでの授業の講師。

さてさて、生徒さんの年齢は20代~60代。

時間帯は10時~16時までの一日ぴっちりあります。

賞味、5時間もセミナーをしたことのない私にとって未知の世界でした。

また、3.11の東日本の津波大地震から感情が高ぶり、何かをしなければならないという思いをどう対処したらいいのか分からない状態でした。

そんな時に、この授業の依頼。

私は、盛和塾時代に勉強をした稲盛フィロソフィーの

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

この考え方をベースに「運命と立命」のお話を午前中。午後からは妻の典子が「ライフカラーカウンセリング」のお話とワークショップをすることにしました。

まず、人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力ですが、稲盛さんは次の様に話します。

人生は掛け算

考え方は-100~100まで

熱意は1~100まで

能力は1~100まで

あるインテリのおじさんが、頭はいいのにうだつが上がらない。

その訳は、考え方が人を批判したり、あざ笑ったりしてマイナス思考だから、いくら頭が良くても掛け算でマイナスを入れると答えはマイナスになると言います。

実はこんなことは勉強済みで分かりきっていたと思っていました。

ところが、改めて人様の前でお話をすることで私自身の反省になりました。

私は人間関係で以前の会社を退職しました。

その時の思いがいまだにココロで引っかかっており、いつかは見返してやるぞーっと・・・

どうも考え方としてはマイナスだったように思います。

これでは、いくら頑張っても結果はマイナス。

こうならない様にしてもらう為にも私の赤裸々な体験談を少々お話しました。

そして、次にメッセージしたかったのは「運命と立命」です。

果たして、運命は変えられないのか?

生徒さんは現在失業をしています。

そして、面接を受けてもなかなか上手くいかない場合もあります。

そんな時、私はどうせこんな運命なんだと思わないで頂きたかったのです。

私の会社のまだまだ泣かず飛ばずで皆さんと同じ立場から「運命と立命」について稲盛さんのお話から学びました。

その中でも「えんりょうぼん」さんのお話は心に染み渡りました。





稲盛さんが、若いころ読まれた、安岡正篤(やすおかまさひろ)さんの知命と立命でのお話。

16世紀末、中国の明の時代の袁了凡(えんりょうぼん)という方の生き方について

幼い頃から母の手一つで育てられた袁了凡(えんりょうぼん)の家に、ある時、易学に精通している旅の老人が訪ねてきて、少年の未来を予測。

今は、医者になる勉強をしているが、それは受からないだろう。

その後、役人の道に進むだろう。そのときに、何歳の時に、何番で合格して、何番で次の試験に合格して・・・・

その後結婚するが、子供はできない。そして、53歳でなくなるだろう。。。。

最初、袁了凡は、全く気にしてなかったのですが、あのときの老人が言ったとおりになります。。。

医者になることもできず、また、試験の合格の番号もぴったり。。。すべてが、老人が言ったとおりになっていきます。

そこで、袁了凡は、人間には、運命があるならば、あれこれ、努力することはやめ、運命に任せることにした。

ある時、袁了凡は、出張先の雲谷という偉いお坊さんに出会います。

「あなたは、年が若いのに非常にできていらっしゃる。どういう修行をつまれたのか?」とお坊さん。

「いいや。私は、ただ運命に従っているだけです」と袁了凡。

「なんだ、そんなことか。では、あなたは、実にくだらない人だ。」と吐き捨てるように言いいます。

びっくりした袁了凡が訳を聞いてみますと、お坊さんは答えました。

「確かに人間には運命というものがあります。運命は決まっていますが、それは宿命ではありません。運命は前世の行いによってきめられているものですが、それは現世の努力で変えられるものなのです。それが立命です。自分の人生を創造的に生き、修行をしなさい。善きことを思い、思いやりの心を持ちなさい。そうすれば、あなたの運命は変るのです」

 それを聞いた袁了凡は愕然とします。そして、努力して自分で自分の人生を切り開く生涯を送るようになります。

そうすると不思議なことに、あの旅の老人に予言されたことがことごとく外れるようになりました。できないと言われた子供もでき、何歳で死ぬと言われた年をはるかに過ぎても健康です。そこで、自分の息子に人生の哲学を書き残します。それが「了凡四訓」という「袁了凡の教え」になったという話です。


さて、運命は宿命ではなく現世で努力することで変えられるものだということが分かってきました。

つぎに芥川龍之介の言葉に

運命はその人の性格の中にあり



というものがあります。

「何事かを成し遂げるのは、その人の才能ではなく、性格です。性格を変えるためには、今までの考え方を変え、習慣を変えることです。そうすれば、人生が変わります。

この言葉から運命を変えるには習慣を変えたらよいことが分かりました。

また、元楽天監督野村氏の言葉では

行動が変わると、習慣がかわり、

習慣が変われば性格がかわり、

性格が変われば人生が変わる。



と言われています。

要するに運命を変えるためには今の行動を変えるべきです。

それが私凡人でもできることだと思います。

そこで、以下の質問をそれぞれに埋めていただきました。

Q.アナタの運命を変えるために、どう行動を変えますか?

A.



A.



A.


このようにして、皆さんも紙に書いて毎日の行動を変えてみましょう。


これが、午前中の授業である程度喜んでいただけたと思っています。

午後からの授業はライフカラー化ウンセリングで妻がしました。



ロハス村                 村長
  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 18:30Comments(0)講演

働く人に学ぶ 《高松市立山田中学校》 2011年2月25日

2011年02月26日






中学一年生の2クラスで授業をしました。内容は仕事についてデス。

私は、仕事とは何かを知ってもらいたく自分の考えを喋りました。

少し難しかったかもしれませんが、あえて喋りました。案外聞いてくれ質問も頂きよかったです。

2011/02/25 山田中学校仕事語り部


始めまして、ロハス村からやってまいりました鵜川です。
30分程度ですがよろしくお願いいたします。


さて、ロハスス村ですが人の体に優しい自然派の美と健康のお店といいまして、健康食品とか、地球に優しい洗剤や石けんなどをインターネットやお店で販売をしています。


「ありがとう」このノボリはロハス村のシンボルマークです。
お店を始めたときに、小さくてもいいから香川県で一番「ありがとう」の多いお店にしようと夫婦で話し合いました。
そして、インターネットで「ありがとう」の検索していくと、このありがとうの文字を書いた菊ちゃんのページにたどり着きました。菊ちゃんはお茶屋さんで「ありがとう」が日本で一番きれいな言葉だといいます。そして、その言葉を日本中!世界中!に広めて平和な世界を作りたいと書いていました。

そして、このノボリを持ってロンドンやパリまで行って外国の人と仲良くなる運動もしていました。
菊ちゃんのブログには本当に愛が詰まっていました。
「ありがとう」が言い合える世の中は「いじめ」も「戦争」もありません。
皆が助け合ってありがとうを言い合いましょう。
ところが、ブログの最終ページには菊ちゃん永眠と書かれていました。

わー菊ちゃん亡くなってしもーた!
こんなに頑張っていたのに。
僕は菊ちゃんの書いたこの字の力を借りて、菊ちゃんの「ありがとうの世の中作り」の続きを仕事を通じて香川県でしています。



ロハス村の入り口にはこの「ありがとうのノボリ」で皆さんを出迎えています。

        ◆             ◆

さて、お話はがらりと変わりますが、この本で紹介されている、「ニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語と書かれており・・・
この「奇跡のリンゴ」を作った木村さんを先日、香川県にお呼びして1000人の前でお話をしてもらいました。

その農家の木村さんのお話をします。

この木村さん笑顔がいいでしょう。



本当にリンゴか好きなんです。好きで好きでたまらん。そんな笑顔でしょう。

でも、この笑顔になるまでには相当の苦労をされたそうです。

まず、木村さんのリンゴがなぜ「奇跡のリンゴ」といわれるかというと、それまで不可能だと言われてきた化学的に合成された農薬や肥料を一切使わない方法で育てられているからなんです。

農薬や肥料を使わないでリンゴをならすなんて本当に不可能なんです。だから奇跡なんです。

またそのリンゴは、放置しても決して腐らないことも【奇跡】と呼ばれるゆえんです。2年間放置していた木村さんのリンゴは腐らずに干からびるだけで2年間立ってもフルーティーなリンゴの香りがするそうです。

そして、インターネットで売り出すと、10分で売切れてしまうほどの人気を博しているといいます。

しかし、その【奇跡のリンゴ】が成功する裏側には 我々の想像を絶する苦闘の歴史がありました。

        ◆             ◆

もともと木村さんも、他の農家と同じように化学肥料や農薬を使用した方法でリンゴを栽培していました。

しかし、農薬散布でご自身や奥さんの皮膚に異常がでるようになったことをきっかけに、当時不可能と言われていた、無農薬によるりんご作りに挑戦します。
 
しかし病気や害虫の影響で8年間、りんごが出来ないどん底の時代を経験することになるのです。

その間、キャバレーの呼び込みの仕事をしたり、やくざに追いかけられ殴られて前歯か折れたこともありました。
また、東京に出稼ぎで出てきて、ホームレスも経験しましたが、収入がほとんどないので、子どもたちに文房具もを買ってやることもできませんでした。

「もうこんな生活には耐えられない」

あるとき、木村さんは死を覚悟し、ロープを持って地元の山に登っていったそうです。

景色が良い場所で、人生最期の時間を過ごしていた時、立派なドングリの木が目に飛び込んできます。

「なぜ、この木は農薬を使っていないのに虫がたくさんついたり病気になっていないのだろう」

不思議に思った木村さんが下の土を掘ってみると、ふかふかとやわらかい土でした。

「これだ!」 叫ぶなり、夢中で山を駆け下りて畑に戻ったといいます。

そこから再度、木村さんの苦闘が始まりました。  
農業の土台といえる土作りからやり直し、
害虫や病気からリンゴの木を守る為
幾多の工夫を凝らし続けました。
 
そしてついに、農薬も肥料も使っていない【奇跡のリンゴ】を作ることに成功したのです。

奥さんが農薬アレルギーで、アレルギーが発祥しないために農薬をかけないでリンゴを作ろうということから始まった奇跡のリンゴ作りですが、この「奇跡のリンゴ」は奥様を助けるだけではなく色々な人を助けることになります。

        ◆             ◆

ココに「いのちの林檎」という映画があります。

この映画は



化学物質過敏症になった女の子の話なんですが・・・

化学物質過敏症というのは要するに化学物質の合成洗剤、消臭スプレー、芳香剤、柔軟剤、化学物質の僅かなニオイも耐えられなくなり、頭痛や吐き気、呼吸困難などを引き起こしてしまう、そんな恐ろしい病気です。

そして、その女の子も最初は軽いものだったのですが、だんだん重症になってきてとうとう街では住むところがなくなり、お母さんと一緒に高い山の上でテント生活を始めました。

それでも、山の上にも化学物質が飛んできて、ある日突然、お鍋、食器、食べ物など全部に拒絶反応がでて、水さえも飲めなくなりました。

水が飲めなくなって4日間、脱水症状。

普通だったら病院に行ったらいいと思うでしょうが、消毒液や化学薬品が充満している病院にも行けません。

お母さんは、自然食品屋さんに次々と電話をし

「娘が口にできるものはないかと」たずねます。

そして十何件目で「うちに無肥料で無農薬のリンゴがあるから、試してはどうか」と言われ、そのリンゴを手に入れました。

女の子の身体の中に林檎の水分が入り、生命の危機から脱することができた。

そのリンゴこそが、木村さんか作った「奇跡のリンゴ」だったのです。

       ◆             ◆


このようにたった一個のリンゴやけど、とっても人の役に立って命まで救うことが出来ました。

この話どう思いますか?

もう一度木村さんの仕事の流れをまとめてみると。

①奥さんが農薬アレルギーだった。

②何とか奥さんを楽にさせてやりたい。

③そうだ!農薬を使わないでリンゴを作ろう。

④なかなかうまくいかない。1年、2年、3年

⑤本来なら3年であきらめますが木村さんは決してあきらめず8年の月日が流れます。

⑥出来たもののまったく売れません。

⑦しかし、化学物質過敏症の女の子を木村さんのリンゴが助けました。

⑧リンゴは口コミで広がり、今では発売10分で完売です。

⑨そして、木村さんは日本全国に農薬や肥料を使わないで作物をつくる方法を教えています。

⑩木村さんは言います。農薬を世界で一番使っている国は日本です。中国でも韓国でもありません。農薬は体に害を与えています。無農薬のお野菜やお米を食べることで体が元気になります。

いま、日本の税収は38兆円です。そのうち34兆円が医療費に使っています。
要するに家計で考えると380,000円の給与をもらって340,000円は病院代に消えて40,000円でご飯や電気代や塾代を払いなさいというようなものです。
これはハッキリ言って無理です。
だから、病院に行かなくてもいいように健康な体作りをしなければなりません。

⑪木村さんの夢は無農薬、無比量栽培方法を教える農業の学校を建てることです。

リンゴから学校建設に夢は広がります。

        ◆             ◆

木村さんのこの話から「仕事って何だと思いますか?」

仕事とは○○である。

2.3人に聞いてみます。

仕事とは○○である。

間違っても良いので手を上げてください。

3分間程度



ハイありがとうございました。

私が考える仕事とは、「世の中の困ったことを解決する」ことであると思います。

自分本位は決して仕事とは言いいません。それは趣味と言います。

仕事とは困ったことを解決してあげ、その人の役に立ちます。

「人が困っていることを自分の力で解決してあげる」こう考えると仕事ってなんぼでもあります。

僕と友達で中学校のときに考えた仕事イコール商売があります。

河川敷でサッカーや遊んでいる人に飲み物を売りにいく。

これらの人たちは喉が渇いて困っています。

売り歩いてあげたら当然喜んでくれるはずです。

60円で仕入れて100円で売るという計画まで立てました。

仕入れは友達の知り合いから。

ある程度準備は出来たのですが売りに行く勇気がなく出来ませんでした。

友達は高校生になって販売をしたそうです。そしたら凄く売れて儲かったそうです。

しかし、近所のお店から怒られて辞めたそうです。

みんなも周りの「困った」を見つけられたら直ぐ仕事が出来ますよ。

お父さんの肩がこって困っている。

肩たたきをする。これも「マッサージ」というれっきとした仕事です。

お母さんの代わりに買い物に行く。

「お買い物代行サービス」という、これも仕事です。

是非、大人になったら「困った探しの達人」になって自分にあった仕事を見つけてください。

さて質問です。

困った探しの達人になるために必要なことは何でしょうか?

やっぱり相手を思いやる愛情だと思います。

何事も愛情がなければ相手も困ったが見えてきません。

あのお年より立てりにくそうやなぁー。手かしてあげよう。
そんな思いが10年後には魔法の杖を作れるかもしれません。安心安全な自動車椅子を発明するかもしれません。

ココで困った探しをして見ましょう。

お手元に配ったプリントに身の回りや社会での困ったを書いてください。

書きながら聞いてください。
世の中には非常に困ったが多いです。
地球温暖化。経済格差。病気。いじめ。老人介護。地震。いろんなところで困ったがあります。

3分間程度・・・



どうですか。

じゃーその「困った」を解決するために「自分だったらどうする」を空白に書いてください。

3分間程度・・・

2.3人に聞きますね。

非常に良いと思います。

最後に困ったか探すためには愛がいります。
人を思いやったり社会を思いやったり。

そして、その「困った」を解決をするためには愛だけでは無理なこともあります。
知識や情報、アイデァも必要です。

そのために今の勉強があります。
だから勉強も一生懸命に頑張ってください。

必ず、「困った」を解決をするのに役立ちますから。

そして、皆で「困った」を解決できる世の中を作って「ありがとう」の多い世の中づくりに皆さんも協力してください。

これで私の話は終わります。

ありがとうございました。




  


Posted by ロハス村 at 20:00Comments(0)講演

【講演】インターネットを通じて輝く未来をつかもう!

2011年02月24日




平成23年2月23日


インターネット通販部会&異業種交流委員会の例会

香川県中小企業家同友会主催

報告者:鵜川 秀樹


私の商売の出発は人材派遣で21年間やってきました。
ところが色々なことがあり、現在のロハス村の商売をすることになりました。

● サービス業から小売
● 派遣から健康食品の販売
● 一取引の金額 数十万円から何百円
● 企業からパパママショップ
● 地元密着から日本全国
● 有名から無名

まあー商売をするにも、これほど間逆の変身は失敗するモデルだと思います。
人間冷静に見ればよく分かること、学生でも分かりそうなことですが、人生には流れがありまして、理屈では割り切れない感じようが私を動かしました。

さて、新しい気持ちではじめた小売業ですが何から何まで初めてで右も左も分かりません。

一ついえる事は、金なし、知識なし、経験なし、知名度なし、のないないづくしでした。

そんな時に店舗を持ち、人材を雇い、はじめると資金ショートを起こすのは目に見えていました。

そこで私は、とにかく金のかからない船出にしようと思いました。

金のかからない商売としは!

要するに「持たない経営です。」

①在庫を持たない

在庫を持てばお客様に直ぐに商品を出せ、お客様満足はアップするように思います。また、1個ずつ仕入れるよりも一度に多く仕入れたほうがコストが安くなることもありますが、あえて今は持たない。注文を頂いて仕入れる。というようにしています。
(売れ筋は多少在庫は持っています。)

②店舗を持たない(自宅を店舗に)

店舗を借りているということは、毎日、毎日、寝ている間もお金が減っています。
店舗を持つとお客様が来てくれると誘惑はありましたが、私は自宅の一室から始めることにしました。そのことでだいぶ家族に迷惑をかけていますが家族に我慢をしてもらっています。店舗を持てば賃借料だけではなく、駐車場、陳列商品、留守番等あらゆる所でコストがかかります。
とりあえず、今は何とか毎日一人から二人の方が当店に来てくれるようになりました。


③従業委員を持たない

同友会の考え方には反するかもしれないのですが、現在は妻と2人で成功に向けて楽しみながら我慢をしています。
来期は外部スタッフと言うか外部の同士をまずは増やしたいと思っています。
そして、いつかは社員を雇って本物商品を広める活動をしたいと思っています。


とってもミミッチイコトヲ申し上げていますが、限られた資源やお金の中で商売をするにはお金の使い方にメリハリをつけなければならないと考えています。



そこで、今は持たない経営を実施しつつ、もう一方では
持つ経営の戦略もとっています。

それは、だれよりも知識と経験を持つという方法です。そして、愛を持つ、夢を持つ、人脈を持つ、また、だれよりも見込み客、潜在客を持つということに今はお金と時間を集中しています。

具体的に申し上げますと


①知識や経験を持つ

本物研究所の研修は色々あるのですが、それにはどの代理店よりも一番多く出ています。
そして、一番勉強をしています。これに命を懸けています。そして、私たちろはす村がおススメする本物商品は私か妻が飲んだり使ったりしているもをススメテイマス。

また、出来るだけその商品を作った創業者にお会いしてその商品が生まれるまでの思いやストーリーをお聞きして感動を持ってお客様にお伝えしています。


②愛を持つ

ココで一つ質問です。知らない人を愛せますか?
私は知らない人は愛せません。よくお客様には愛を持って接しなさいといいますが、知らないのに愛はもてない。だからお客様のことを夫婦で知り合ったりしながら知る努力をしています。知ればその人に興味を持ち、あの人良くなったかしらと愛情が生まれます。

また、クレームは「情報不足」と「愛情不足」からきますので、私は日本全国フリーダイヤルにして質問等に何時でもおうじれるようにしています。


③夢を持つ

夢は人をひきつけ、自分をも元気にしてくれます。私には夢があります。それはテレビ通販をしてジャパネット高田さんのように自分でしゃべってこの商品の良い所を皆に知ってもらいたいと思います。


④人脈を持つ

いくらインターネットの商売でも人脈はとっても必要で、私のこの商売があるのも人脈のお陰です。現在、私のサイトを作ってくれているのは25年位前から御付き合いいただいている友人の会社で作っていただいています。そこの従業員さんはみんな障害者です。時間はかかりますが力を合わせていつか日の目を見ることを夢見て頑張っている自分がすきです。
また、同友会も皆にも助けていただきました。テントは一支部の藤本テントさんに格安で。看板はデザイン工業の小西さんに。
また、たも屋の黒川さんとは世界初の水素うどんを作ることが出来とってもワクワクしました。


⑤見込み客を持つ(潜在客)

わたしが今行っている「病気になる前に予防をしましょうと言う活動」はまだまだ啓蒙活動の段階だとおもっています。
今はほとんど対処療法ですが、この対処療法だけでは税府の財政が持たなくなっています。ちなみにどうなっているかというと、日本の税収が38兆円といわれています。そのうち医療費は34兆円。みなさんいかがでしょうか?

38万円の給与で34万円医療費に使った生活でまともに子供を育てれるでしょうか?
だから予防が必要なのです。


こんな事実を時々私はネットを使って世間様に知らせています。そして、予防医学の啓蒙活動をすることで、そういったことに関心の高い人々の掘り起こし活動をしています。

そて、私の課題はどうお金の流出を抑えて商品を販売していくかです。

この時、利用したのがネットです。

まずはホームページを先ほど言いました。友人の会社に作っていただきました。
そして、ブログも教えてらいました。

ます、ロハス村のたってきの課題はロハス村を知ってもらうこと!
私は、とにかく毎日毎日ブログを書き続けました。
2008.6~2年半
おかげさまでヤフーではロハス村と検索すると一ページ目にほとんどロハス村が乗るようになりました。
これが出来るようになったので名刺にはURLではなく「ロハス村」クリックと書き込みました。

SEO対策とかPPC広告とか私の専門ではないので、それは川西さんにお任せして、現在私がなるべくお金をかけないで実践をしている方法をご紹介いたします。




①ブログ

これは、私の表現の場として利用しています。分かりやすく言うと私のステージです。但し、いくらかいても観客がいなければ寂しいです。そこで、次にココにこんな記事を書きました。見てください~。と言います。一人一人に言って回るのはとても無理なのでツイッターを使います。


②ツイッター

ツイッターはロハス村商店街の通行人にチラシを配り皆にお店を見に来ていただくイメージです。よくあるでしょ。街頭でティッシュ配っている奴。
最近こんな事例がありました。ある有志の会で「奇跡のリンゴ」で有名な木村さんを呼んでご講演頂くことになりました。チラシが出来上がったのは当日の1.5ヶ月前!この時様態で1000名の会場を一杯にしなければならない。いくらなんでも無理!!!!
そこで使ったのが、ブログとツイッターです。ブログで記事や告知を書きツイッターでさらに流しました。おかげさまで県外からも問い合わせを頂き私一人で100枚強。全員で1000枚を完売できました。ネットと口コミのリンクはこれからの集客には絶大な威力を示すと思います。


③YOUTUBE

私は将来テレビ通販をするのが夢です。ジャパネット高田さんのように自分でしゃべって本物商品のこだわりや開発秘話、会社のユニークなところや愛されているところを色々な角度から紹介をして共感を得たお客様にお買い求めいただく。
しゃべっているだけでワクワクしてきます。


④FACEBOOK

まだ、これは登録しか出来ていません。映画にもなっているので是非試したいと思っています。


⑤USTREAM

これも私の夢ですが、5年度前にマーケティングコンサルタントの神田昌典先生が、近い未来に個人でも放送局を持てるようになると言っていました。まさしく、これでロハス村の番組を持てるようになりました。早いうちに全国放送を実施したいです。


このように、私は成功をしておらず、まだまだ試行錯誤で皆様の参考になるようなことは言えませんでしたが今後の行方を見守っていただければ勉強になることもあろうかと思いますのでよろしくお願いいたします。


最後に私は成功をしていませんが成功をした一瞬を横目で見ることが出来たのでその事例を言って最後にします。

私くしどもの商品に「ビューティーヘルスエンザイム」というプチ断食酵素飲料がございます。これを飲みながら断食をすると空腹感がなくプチ断食ができリバウンドもほとんどありません。私も過去3回やりました。とっても良かったです。
ある日、その商品がテレビに取り上げられなんと注文が2日で2000本あった小売店がありました。ロハス村は残念ながらそれほどまでは全然行きませんでしたが、きちんとホームページを作りこみ、SEO対策をした販売店は大成功を収めました。
ちなみに、7000円程度のものですから7000円×2000本=14000万円の売り上げです。どうです。素晴らしいでしょう!

このようにネットの世界は浪漫があります。

ロハス村もいまはコツコツやり続けていつビッグウェーブが来ても良い様に待っていたいと思います。

本日はありがとうございました。



ビューティーヘルスエンザイムはコチラ
http://lohasmura.ocnk.net/product/168


  


Posted by ロハス村 at 10:00Comments(0)講演

ロハス村の村長が本の出版?

2011年02月17日

この度、㈱本物研究所の佐野社長著「私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて」が出版されました。





どう生きればよいのか?

何を探せばよいのか?

読み終わった瞬間に、感謝と涙がこみ上げてきました。

とても暖かく、幸を感じられる本です。

そして、そんな温かい本にハガキが挟み込まれています。





拡大すると





本に挟み込まれたハガキでありますが、香川県 鵜川様 としっかり印刷されています。

この本に挟み込まれて日本全国私の分身が広がっていると思うとワクワクします。

早速、著者の佐野浩一社長にお会いをしてサインをいただきました。











こんな感じで私のプチ出版体験は終わりました。

いつか、私自身で本を出版したいと思いました。

さて、この本のご紹介を少しさせてください。

編著者の佐野浩一社長は、お会いするといつも笑顔で元気を与えてくださいます。

会う人、回りの人を元気にする天才だと思っていましたが・・・

船井流を追求し、自分らしく、人の何倍も努力されている方だと思います。

気取らず、本音で、人間味溢れる解説、読んでいると、ほっと肩の力が抜けてきます。

そう、そんなに背伸びしないで・・・

これでいいのだ・・・

でも、もう少しこうしたら、もっと良くなるかも・・・

そうだったのか・・・

ちょっとためしてみよう・・・

なんだかワクワク・・・

なるほど!

幸せというのは自分の主観なのだから、「幸せだ」と思えば幸せなのだし、

「幸せではない」と思えば周りの人がどう言おうが幸せでない。

したがって、どんなときでも「幸せだ」と思える人が、『もっとも幸せな人』だと言える。

もくじ

はじめに

感謝して生きる

幸せについて

成長とは

成功するために

働くということ

プラス発想

正しく生きるために

学び

ツキの原理

しつけとクセづけ

自分を見つめる

世の中のあり方

人とのかかわり

長所を伸ばそう

やる気をだすために

経営者として

おわりに

私だけに教えてくれた船井幸雄のすべて
編著者:佐野浩一

人生の哲人・船井幸雄自身の経験から生まれた、
誰もが悩む人生の16のテーマに答える366のシンプルかつ奥深い言葉を厳選して紹介。


「2011年からの正しい生き方」がこの中にいっぱい詰まっていました。

  


Posted by ロハス村 at 13:00Comments(0)記事

幸せを呼ぶ! ライフカラーカウンセリング セミナー

2011年02月12日





 2月7日、パソコンスクールのあずま~るさんで妻と一緒に
『幸せを呼ぶ! ライフカラーカウンセリング セミナー』をしました。

ライフカラーカウンセリングと聞いて皆さんはどんなことを想像しますか?
ほとんどの方が自分に会った色の選び方だといわれます。

いえいえ。

ライフカラーカウンセリングは、予防医学の基礎知識と陰陽五行を活用した新しいカウンセリング手法です。ご自身の心のストレス・健康上の原因発見のお手伝いをします。

まずは、50問の質問に答えていただき自分自身を知ります。



このカウンセリングでご自身の心と身体の現状を知ると・・・

1. ご自身のストレスの種類がわかります

2. 体のどの部分に負担がかかっているかわかります

3. ご自身の心のクセが分かります

4. 健康向上の指針が分かります

5. 陰陽五行・予防医学の基礎勉強ができます


さてさて、妻が上がりながら皆の前でしゃべり始めました。



陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水。

木が以上に高かったり、低かったりするとココは社会性の能力であり、社会的ストレスが多い人です。

そして、このストレスの高い方は□□病になりやすい。

一つずつ説明を進めていくごとに「あたっている」とか「そうなんだ」なんて声が漏れます。

ついつい熱が入りすぎて時間オーバー。

休み時間中個人指導もしちゃいました。

喜んでくれて何よりでした。


僕もライフサイクルのお話で前座を務めました。



自分の棚おろし

ライフサイクル今何時?

生涯のあなたの立っている位置を明らかにする。
この時間なら次はどうするのか?
どう過ごしたいのか?
ご自身の時間です。
諦めるのではなく、明らかにする。

あなたの強みは何ですか?

こんな感じでお話をしました。


あるま~るの皆様つたないお話をお聞きくださりありがとうございました。



ロハス村             村長
  


Posted by ロハス村 at 08:00Comments(0)講演

働く人に学ぶ 《三木中学校》 2009年3月5日

2011年02月01日


2009/03/05 三木中学校仕事語り部

挨拶

始めまして、ロハス村からやってまいりました鵜川です。
30分程度ですがよろしくお願いいたします。

初めにこのパンフレット・・・うちの店が何を扱っているのか理解して頂くためにお配りします。
それと、私がこの仕事を始めた経緯のチラシの2種類をお配りします。

それでは始めたいと思います。

私は皆さんより1つ年下の息子がいます。昨日息子にも聞いてもらったのですがどうも上手くまとまりませんでした。
皆さんも分かりづらい点があるかもしれませんが、ご了承下さい。

それでは一生懸命おはなしをするのでよろしくお願いいたします。

自己紹介
私のお店は円座の方にあります。
最近オープンしたばっかりです。

何をやっているかと言うと!
エバメールと言う化粧品の販売とか環境にやさしい洗剤とか体に良い健康食品とかサプリメントを販売しているお店です。

販売方法はお店での直接お客様と話しての体面販売、インターネットでの通信販売などをしています。
ブログの話
インターネットはまだ素人ですがブログを書いており、一昨日品川庄司の品川と庄司がブログのアクセス対決を番組でやっており、庄司が負け雪の中裸で罰ゲームになったのですがその事を私のブログに上げたとたん10間で150人ものアクセスがありました。
今までそんなにアクセスが会った事が無かったのでビックリしました。

インターネット恐るべし。芸能ネタ恐るべし。 ブログやっている人。
もし、ブログを書いている人がいたら芸能ネタはアクセス来ると思います。

話がそれましたが、まず初めに私の夢という所から話をして、何でロハス村の仕事に付いたかという経緯を話して行きたいと思います。

私の夢
漫画家、先生、社長
ちょうど私が皆さんくらいの年のころの私の夢は漫画家になりたかったです。
僕の時代は漫画全盛期で手塚治のブラックジャック、火の鳥、石の森章太郎のサイボーグ009、キカイダー、仮面ライター、赤塚不二夫の天才バカボン、それとタイガーマスク、巨人の星、あしたのジョー、マジンガーZ、デビルマン、など上げればキリがありませんが・・・非常にマンが世代でした。
学校のクラブはバスケットをしていましたが部活から帰る早々テレビを点ける少年でした。
それでもってマンがコミックを集めてはそれを写して、自分なりのオリジナルマンガも作っていました。
そして、将来は漫画家になりたいと真剣に思っていました。

ところが優柔不断な私は高校生になると夢が変わりました。

今度の夢もやはりテレビの影響です。
実はそのころ武田哲也演じる金八先生や熱中時代の水谷豊さん、中村雅敏さん夕陽丘の総理大臣などの先生に憧れ先生になりたくなったんです。
先生と生徒・・・ケンカしたり、言い合いをしたり、と対立して本気と本気をぶつけ合う事で分かり合い最後は肩を抱き合い校庭を走り抜ける青春の姿。それに感化され俺は先生になって世の中を良くしてやるぞーと意気込みました。

ただ、先生になるには頭が大切です。大学受験も真剣に考えましたが、得点が足りずその教育学部への大学への受験はあきらめました。
ここで先生になる夢はあきらめました。

そして、大学は経営学科に入学しました。
先生の夢は破れ今度の夢は社長です。

経営学科ですから会社の経営の勉強をします。商売をするためにお金の事、人を雇う事、どうしたら商品が売れるか等を勉強します。

下宿でこんな事を言っていました。俺が社長になったらたっぷりお金をためて飲み屋でみんなオゴッテやるけん楽しみにしとけよーーーと・・・・

そうそう大学は県外の大阪に進学しました。

そして夢は大きく勉強はあまりせず遊びが多い大学生活を過ごし、就職は普通のサラリーマンでした。

現実は違いますねー

でもね、運命って不思議なモンなんですよね。

この私の黄色いチラシにも書いていますが、

ある日子会社に
普通はサラリーマンになったらサラリーマンで終わると思うのですが、自分でもそう思っていたのですが・・・ある日子会社を作るのでそこに言ってくれといわれ、一人配属になったんです。一人で営業も事務も何でもやりました。
私は毎日毎日一生懸命働きました。14時間くらい働きました。
それでも全然大きくならず5年6年経った頃頑張り続けていたらどうにか会社がなりたつようになりました。

その時はモチロンサラリーマンです。社長がちゃとおって怒られまくりながら仕事をしていました。

ところが不思議な事が人生では起こるんです。というのはこう言う事です。

神戸阪神淡路の大震災で親会社が会社整理になり独立をしなければならなくなり、私は社長になってしまいました。
社長に
夢って不思議ですよね。中学生の時は漫画家、高校生の時は先生、大学生の時は社長、社会人になって現実はサラリーマン。そして、流れて流れて親会社が潰れてヒョンナ事から社長になってしまった。こういう風に大学の時の夢は叶いました。

ただ夢は叶ったものの本当に社長になると大変でした。資金繰りのこと、採用のこと、仕事の段取りの事、全責任は社長の責任でした。何とか会社を潰さんように一生懸命働いていました。おかげで順調に経営も出来始めた頃・・・

事故
人生というのは不思議なものでですね順調そうになったのもつかの間今度は事故になってしまいました。バイクでこけてしまいました。そして、両手骨折。長期の入院をすることになりました。両手が使えないので食事をするのもご飯を口まで運んでもらわなければ食べられません。おトイレも誰かに拭いてもらわなければ出来ません。
夜もよおして来たときは最悪です。真っ暗な中妻に・・・おい、、、おい、、、おおおおいと起こします。そして、満杯でもれそうなのを我慢して便所に行きます。
ハァーーー毎日こんな調子で誰かの手を借りなければ生きていけない自分です。
はっきり言って、こうなった時頼れるのは家族だけです。誰がお尻を拭いてくれますか?私は赤ちゃん以来お尻を他人に拭いてもらいました。

事故になる前までは社長もしており仕事ばかりであまり家庭もかえりみず家族の有難みもあまり感じていなかったかもしれません。会話も忙しかったのですくなかったかも知れません。

事故になったおかげでと言ったら変ですが、十分会話が出来家族のありがさもわかりました。

それから何と無く家族って大事やなぁーとか、人の心って大事やなぁーと考え出しました。

そしたら出会う人が変わってきました。


てらきちさん、高木さんとの出会い
ある日、私は路上に座っている青年に出会いました。その人は路上書道家と言って「あなたの顔を見て、天から降りてきたあなただけの言葉を書きます」と言うのです。私は面白そうなのでとりあえず自分の言葉を書いてもらいました。

(額を出す。)
読みますと
「秀樹伝えてこの想いを、秀樹が正しいと想う事伝えて、伝えれば皆が幸せになる。」

なんかこういったことを書いてくれて、ちょうどその頃私は環境の事とか事故を経験して家族の大切さとか、生きる事はなんやろうか?と考えていた頃です。

その後私の従兄弟が病気で亡くなって、まだ若いんやけど・・・まあ・・・人間って死んだら終わり。そういう風に思いました。
あー死んだら終わりなら生きているうちにしたい事とか、自分の伝えたい事をもっともっと伝えて、背の中の役に立つ事もドンドンして自分の生きている証を残したいと・・・そんな事を思いました。

でそんな事を思っているうちに、今度は環境問題をテーマに全国を駆けづりまわっている地球村の高木さんのことを知りました。私は高木さんの本を買いいっきに読みました。そして、岡山、高知に講演会にも行きました。
高木さんに会うまでは私は地球が温暖化や砂漠化になっている事は知っていましたが自分の生活にはさほど影響も無く環境は大事だという程度で自分から何かしようとは思いもしませんでした。
ところが高木さんの話を聞いて良くわかりました。
地球の100年後そう遠くない将来、このままみんなが環境のことを考えずに自然を破壊し続けると、私が子どもの頃に見ていた宇宙戦艦ヤマトのように地球が茶色くなってしまうのか!!!
愕然としました。

いま人類が作ったフロンなどの影響でオゾン層が破壊され有害な紫外線が増え白内障や皮膚がんが増加しているそうです。
私が子どもの頃は夏は真っ黒に日焼けしているのが健康な子どもの代名詞だったのですが、今はこの紫外線から身をまめるためにアメリカでは体育の授業で外へ出る場合は紫外線から体を守るためにハット着用、そして、サングラスをつけて体操をしているそうです。

(本を読む・・・)
森林も凄く地球上から減っています。森林の成長するスピードの10倍以上の速さで森林が破壊されているそうです。
国連食糧農業機関は「すでに世界の森林の7割が消失。このままでは50年後、世界の主要な森林は無くなり、地球は砂漠化する」と警告しています。

そして、日本の割り箸が98%中国の木を切って出来ている事を教えられ、使い捨ての割り箸を使うごとに中国の森林が破壊されている事を知らされました。
日本だけで割り箸に使う木は年間100万本、野球場2790個分の面積の森林に当たるそうです。
そして、マイハシ運動を以前紹介した路上書道家のてらきちさんから教わり私もマイハシを持つ事にしました。
本当に小さな実践ですが自分が出来る事から始める事が大切と彼は教えてくれました。

こういった事実を今まで私は知りませんでした。そして、てらきちさんや高木さんと出会い思っていた以上に環境は悪化している・・・
これは大人が真剣に考えて行かなければ将来の子供たちを困らせる事になると思いました。

皆さんはこれから50年後も生きている事でしょう。
その時森がなくなっていたらどうなるでしょう?

空気が薄くていつも酸欠状態。外でレジャーどころではありません。
また、森が無くなれば連鎖して魚もいなくなり、災害も起きることでしょう。

こんな世界に誰がした。私たちの時代で何とか食い止めなければそう思います。

まあ、そんな事でなんか環境とか、またみんなの体に良いものとかを皆に伝えながら、健康になってもらって喜ばれながら仕事をしたいなぁーと思うようになりました。
それでロハス村を作りました。
ロハス村がこんなん食べた方がええぇーと言って皆が健康になってもらったり、こんな洗剤使った方がめだかも死なんでぇーという事で地球の環境のためになったりして、10年後20年後50年100年後の地球もちゃんと青い地球にするために少しでも力になれたら最高だと思いました。

(パンフレットを出す)
それでこういった環境とか体に良いものを売っている本物研究所の代理店を香川県でするようになりました。

以上が何でロハス村を始めたかと言う経緯です。

そしたらどんなものを扱っているのかを少し説明します。
お配りしたパンフレットの一枚目を開いてもらうとエバメールと言う化粧品があります。このごろ肌が弱かったり、肌が敏感になっている人が増えています。これも多分食べるものであったり環境の影響だと思いますが本当に増えています。
そういった人にも優しい水で出来ている化粧品が出来上がりました。臭いもしないので家族で使っているところも増えています。

また、森が減っているのでどうしてもマイナスイオンが減っています。それをお部屋においているだけでマイナスイオンを出す「新林の滝」と言う商品もあります。
右の写真のように枯れかった観葉植物がマイナスイオンを浴びる事で青々とよみがえる。そんな力がマイナスイオンにはあるんです。ところが現在は森林が減っているためにドンドンマイナスイオンが少なくなっています。

また、9ページを見て頂くとボールに野菜を10分ほど安心野菜を混ぜた水につけます。すると白い幕のようなものが浮かび上がってまいります。これずいわゆる農薬や果物についているワックス剤です。農薬は目に見えませんが体に入れると害かあります。そこで無農薬野菜やこのような農薬を除去する安心野菜のようなものが注目を浴びています。

10ページのマザータッチの飲める洗剤でこれを川に捨ててもめだかがすめます。

また、13ページの水素。私も毎日一粒飲んでいますが左の写真のように水素はさびる事を止める働きがあります。これを応用して人間が飲む事で老化を防いだり、成人病にかかりにくい体にしてくれます。

14ページの玄米ギャバはよう現代の若者はキレヤスイといわれていますが玄米の中には切れにくくする成分が入っています。そして、逆に集中力が増すという学生さんにはうれしいサプリメントです。


このように自然のものを食べる環境に良いものを使う・・・そんな事を提案しながらお仕事をさせて頂いています。

さをり織り
それともう一つ福祉の仕事をしています。
これは「さをり織り」と言って知的障害者の方が手織りで丹念に追った生地です。いま、香川県の障害者の賃金は低く少しでも賃金を上げるためにはこの「さをり織り」が売れて行く事が何よりですが、そのままでは売れません。そこでこの生地をカバンにしてみたり、マフラーにしてみたり、帽子にしてみたり、と商品開発してやって出来たのがこのテディーベアです。このくまちゃんを作るために色々な人の協力がありました。このさをり織りを織った障害者のAさん、デザイナーの中野さんと一針一針手縫いで仕上げてくださった職人さん。ホームページを創ってくれた尾松さんとブログを書いている菅さん。このプロジェクトの代表の古市さん。施設庁の坂口さん。本当にたくさんの人の協力の下これが出来上がりました。

仕事とはこういった皆の協力が無くては出来ません。そして、仕事を通じて自分も世の中のためになれることが沢山あり、共に喜べる人がいるというのが本当に仕事の喜びです。
この「さをり織り」第一号が出来て施設庁の坂口さんにお持ちした時「さをり織り」でこんなに素晴らしいものを作ってくれたと涙して喜んでくれました。中野さんも菅さんも僕も涙ぐみました。この仕事をして感動をいただきました。

仕事はつらい事も多いけどこんな感動も与えてくれる素晴らしいものです。

夢を持つ大切さ
中学時代真っ只中の皆さんも色々な夢があると思います。夢を持つ事をあきらめないで欲しいと思います。夢は変わって当然です。私も中学時代漫画家、高校で先生、大学で社長になりたい。あ・・・サラリーマンから社長になりました。ところが事故をキッカケニして色々な人との出会い、身近な人との別れを経て命の大切さ、地球が危ない事に気が付いて今度は地球を守りたい、子供たちのために綺麗な地球や健康的な暮らしを守ってやりたいと思うようになり・・・今度はそれが夢になりました。
仕事は自分の夢の実現のためにあります。

ぼくも夢が一つ一つかないました。中学生の漫画家になりたい夢は自分でパンフレットを作りニャロメをかいたりケムンパスを書きました。
また、先生は今日こうして皆さんの前で話をさせていただきました。これも一つ夢がかないました。一つ一つ夢は自分で叶えていきましょう。夢さえ持っていれば私のように何時夢が叶うチャンスが訪れるかもしれません。

どうぞ皆さんも自分の人生は自分が主人公です。
人の夢ではなく自分の夢を大きく持ってください。


でかい夢を持つのは子どもの特権です。どうぞ好きな事ワクワクする夢を持って学生生活をエンジョイしてください。夢は生きる力です。

終わります。



ロハス村  鵜川秀樹


それから数日後・・・ダッシュ


袋に詰まった大きな夢

昨日、さぬきビジネスファームの打ち合わせ会に行くと三木中学校で行われた語り部の感想を手渡してくれました。
袋をあけると18枚もの感想文が詰まっており、どれも・・・これ・・・・中学1年生が書いてくれたものかと関心をしたしだいです。

この話で伝えたかった事は

夢を持ち続けてほしい。

家族の絆と大切さ。

地球環境の関心と参加。

これらの事を伝えたかった。

そんな僕のメッセージにこんな感想を頂きました。

とてもうれしいです。














どれもどれも力強い感想文でした。

ほかにも沢山の感想文を頂きました。

子供たちの未来の為に私たち大人は住みやすい世の中を創っていかねばなりません。



ロハス村  鵜川 秀樹  


Posted by ロハス村 at 19:00Comments(0)講演

人生は可能性が一杯 私もなれた、あなたもなれる社長に!

2006年05月20日





2003.11.6に私が高松大学で講演をさせて頂いた内容です。

人生は可能性が一杯
私もなれた、あなたもなれる社長に!


こんにちは。
私は人材派遣の㈱ブレインズという会社から参りました。鵜川秀樹と申します。
今日は私にとって教壇でしゃべる、はじめての経験で、とても緊張しています。
疋田(ひきた)先生からご依頼を受けた時も、お断りしょうかとか考えましたが、人前で堂々としゃべれる人に憧れており、今日は人前でしゃべることにチャレンジしに参りました。
一時間一生懸命しゃべりますので、よろしくお願いいたします。
それでは、このレジ目に沿って 私の学生時代、就職、独立に至るまでの体験談を発表させて頂きます。
タイトルは
人生は可能性が一杯
私もなれた、あなたもなれる社長に!
としました。
私は20歳の頃から社長になるぞと野心家でもありませんでしたし、
学生の頃、生徒会長でも部活動でのキャプテンだったわけでもありません。
唯一威張れるのは小学校時代学級委員になったことぐらいです。
そんな平凡な私ですが、流れに任せながら、その場その場を一生懸命生きて来た結果、社長になりました。
要するに私のような平凡な人間でも、何とか今社長になれていますし、ましてや、みなさんには未知の可能性があり、
この中からベンチャー企業の社長が出てくるかもしれません。それほど皆さんには可能性があると思います。

これからもかなり新卒の就職は厳しいことが続くと思います。日経
そう考えると社長も就職の一つの手段として、考えてみるのも選択視野が広がるかもしれません。

そんなことで私の体験談を聞いていただき、自信を持っていただき、進路の選択、就職活動、に役に立てればと思っています。

それではそんな私のプロフールですが
プロフィール(自己紹介)
私は、株式会社ブレインズから参りました鵜川秀樹と申します。

名前の由来は昔ノーベル賞を取った湯川秀樹という学者がいました。鵜川と湯川では「ゆ」と「う」の一字違いだし、湯川秀樹のように頭がよくなるようにと親がつけてくれました。頭は今ひとつでしたが気に入っている名前です。
今なら松井秀樹の秀樹と同じ文字です。
仕事は人材派遣、職業紹介こういった人材ビジネスを通じて早17年になるんですが、株式会社ブレインズの代表取締役社長をさせて頂いています。

年は寅年生まれで、先月41歳になりました。皆とは大体20歳くらい違いますから、丁度皆さんの倍くらい生きてきております。

学校は地元の高松商業を卒業しまして、大学は近畿大学商経学部経営学科を卒業しました。皆さんと同じく経営のことを学ばせていただきましたが、大学ではあまり真面目な生徒ではなくて、今になってあの時 経営学、会計学勉強しておけばよかったと思っています。

さて、本題に入る前に、つい最近聞いた、元気になる「夢のある」お話をご紹介しておきます。
それは㈱就職予備校と言う会社の福島先生の話です。
福島先生のお仕事は若手の起業家(企業ではなく起こす企業のほういわゆるベンチャー)を支援、アドバイスする仕事です。
その中でも夢物語を実現した社長の話です。
まず、一社目は
インターネットのサイト「楽天」です。
楽天の社長は福島先生と出会ったときは、いわゆるフリーターで夢だけを追いかけていた青年だったそうです。
ところが3年後に所得番付ランキング2位になったそうです。
先生も今その人を見て、その人の将来は分からないと言っていました。
2社目は
自動車メーカーの「しゃりんこ」です。
自動車メーカを作るには大体3000億円の資金が入るそうです。
ところが倒産をして無一文になった男が、もう一度家族の支えで立ち上がりベンツそっくりのオーダーメードの自動車メーカを作ったのです。
その社長は会社が倒産して自殺しょうと思ったそうです。さして、その前に奥さんに別れてくれと言ったらこんな時だからこそ家族が必要ではないですかと言われもう一度生きてみようと考え直しました。
まず、彼がしたことは「自殺をしないで生きよう」と言うメルマガの発行でした。
このメルマガを出すことで「自殺を止まりました」という沢山の返信があったそうです。
そこから夢を形に変え人生の失敗者に勇気を与えるために自動車メーカーを作ることに挑戦したそうです。
出来たのがこのベンツそっくりの車です。
すでに45台の注文が入っているそうです。
次はルパン三世の車をマーチから作っているそうです。
彼は車を売るのではなく夢を売る会社にしたいと言います。
更に彼は、
夢は過去の失敗を輝かしい時代に変えてくれる。なぜなら、あのときの失敗が今の夢にめぐり合わせてくれたと言えるからです。といっていました。
今ではベンチャーを支援している福島先生ですが、実は若い頃会社を3社ほど潰したそうです。
そして、何がいけないのか知るため一日一人経営の法則を聞いて回ることにしたそうです。ところが人それぞれでなかなか成功の法則はわからなかったそうです。
ただ、その中で記憶に残ったのが人生に失敗はない、すべてと中継かで失敗も成功するための過程であるという言葉だそうです。
要するにあきらめなければ失敗はない。成功者と失敗者の違いはあきらめどころの違いだそうです。
だから仕事に取り組むとき一番大事なことは「仕事に取り組む考え方」だと言っていました。それによって不可能が可能になるそうです。

さて、本題の私の体験談ですが、皆様と同じ年位の就職活動をする頃からの話をさせて頂きます。
大学4回生前 永平寺7日間修行、血のしょんべん
なんのこっちゃと思うかもしれませんが・・・

私の頃は就職解禁日が決まっており、今のように早くは無かったです。

確か4回生の10月の1日が解禁日だったんですけども、やはり3回生の終わり位から就職どんなことしょうかなあーと言う事を、ちょくちょく友達と話していました。ただそう言いながらも生活は朝の4時とか5時に寝てお昼ごろ起きてバイトに行くという、全く朝昼が逆転をしたような生活をしていました。

さすがに就職を一年後に控えまして「これはいかんなぁーこういった昼夜の逆転の生活していたら就職してもしんどいでー」ということで、「なんか生活習慣が変えられて、心を入れかえられるような 例えば座禅をさせてくれるような所はないかなー」と下宿の同僚と話していました。「それなら自分の故郷、福井県に永平寺というお寺があるよ。」と言いました。彼が言うには、そこは参禅と言って「一般の人でも12000円~13000円くらいで一週間 座禅をさせてくれて、心を鍛えるにはもってこいや!」と言うのです。「もちろんショウジン料理3食 昼寝つきや言うからそこに行ったらどうなんや」と進められて「お そこ行ってみるわ・・・」その気になって4回生を前にした、春休みに早速参加することにしました。

今でも鮮明に覚えています。永平寺に行ったのは3月1日で福井県の友人に連れて行ってもらいました。3月というのに永平寺の付近は私の腰くらいまでの雪がまだ積もっていました。
まあーとにかく頑張ろうと思って・・・
起床3:50 、4:10から 50分間の座禅 その後正座で1時間半お経を読みます。その後朝ごはん。これは厳しかったです。箸の持ち方から茶碗の持ち方まで礼儀作法を指導されます。その後掃除。これもまた、長い長い廊下をはだしで屈み走りしながらの雑巾ぶきです。その後講和、座禅、夜の9時消灯、食事もショウジン料理。おかゆ、麦飯、汁、こんこ、肉・魚は一切ありません。
もちろんウォークマンも取り上げられました。
そんな事が一週間続くわけです。

そんな修行が一日過ぎ、2日過ぎ、3日目に血の色をしたしょんべんが出て、さすがに福井の連れて来てくれた友人に電話をして「これはもう無理かもしれん、迎えに来てくれるか」と言ったんですけれども、福井の友人は、「お前それでいいのか?それ最後までやり遂げナンダラ就職できんで」と言われ「そしたら最後まで頑張ってみるわ」と言うことで最後まで頑張ることが出来ました。
体重も5キロくらいは減ったと思います。
ただ、まあ、取り合えずやり遂げたことで少しの自身を持って就職活動に挑む姿勢作りが出来たと思います。

それから、いよいよ4回生になりまして・・・

就職活動開始 10年後の俺を目指して
これはどう言う事かと言いますと、

その当時の就職の本にあなたの10年後を考えて、できれば書いてみて 、就職活動をすべきだとアドバイスがありました。

今回の体験談を話すに当たって、久々に学生時代の日記を読み返してみますと日記では、このように書いていました。

私は10年先も叫べる人間でありたいと思う。
そして、疑問を持ち続けていたい。
また、文化にたずさわり、四国の文化を個性的なものにしたい。

21歳の私には大きな夢がありました。

そして、10後の年表では
昭和60年 セーラ広告社に入社・・・わけが分からず一年過ぎる。
昭和61年 ラジオ放送の番組に参加。
昭和62年 瀬戸大橋にかけ四国をPRしょうという企画でイベント、ポスターなどに力をいれる。
昭和63年 瀬戸大橋関係ちなんだの店の広告を手がける。
昭和64年 瀬戸大橋完成。四国にも車の数が多くなり事故防止のポスターまたレストランのディスプレーの計画をする。
昭和65年 高松へ長渕剛を呼び高松の人々にありがたがられる。
昭和66年 小豆島に大スターを呼び小豆島ツワーを開く。
昭和67年 結婚。独身時代のことを本にして出版する。
昭和68年 高松の文化を呼び戻す。
と書かれています。
ま。あのーこの当時は、まだ昭和が続くと思っていましたので昭和68年まで書かれていました。

今読み返してみて人間「夢」を持つことは凄く大切だと感じます。
「夢」は人間に実力以上の力を与えます。
私のようなグウタラナ学生が、こんな夢を持つことでドンドン就職活動にチャレンジして行ったのです。

その後、セーラ広告社、センコー産業、セシール、なんぽ企画(現在のシムリー)、牟礼印刷、マルナカ、西村ジョイそんな感じで 十数社 会社見学や会社訪問をさせて頂きました。
その中でも兵庫銀行の子会社であるセンコー産業に入社が決まりました。約50人の同期入社がおり、配属は希望していた、子会社のマンパワーセンコー(後に社名変更をしてメイト)と言う所になりました。でそこはセンコー産業の広告、チラシ作り、出版物を扱う仕事になるんですが、給与は128000円からのスタートでした。取り合えず、四国の文化に触れられる仕事だと思っておりましたので、とてもうれしかった事を覚えています。

2ヶ月で夢破れて辞表届と10万円のボーナス
これはデすね
ところが早くも五月病になってしまいました。
思ったことをヤラセテクない。また、考えていた事と違う。いわゆるわがままなんですが、文化的広告の仕事が出来ると思ったのが甘かったです。
やるのはセンコー産業の不動産広告のレイアウト。それも毎日毎日上司に怒られて不満の積もる毎日でした。まるで自分が自分でないような日々が過ぎていきました。今から考えると社会人としての常識も、文章力も無い私にですね大事な仕事を任されるわけがないんです。ただ、その時はもう本当にやってやるぞーと思いは強くありましたが、から舞だらけで、自分の実力も知らずに、他人を恨んでばかりいました。まあ、そんなことをしている内に夏のボーナスが出たわけです。しかし、その当時の私は耐え切れず初めて出た夏のボーナス10万円と共にこのボーナスは頂けませんと辞表を持っていきました。
まあ、それで辞表を受け取ってくれていたら、私がこうして皆さんの前で話す機会はなかったと思うのですが、
社長はワシが怒るのに耐えられなくなったんやろー。ワシはいつまでも居るわけでないけんな、もう少し耐えて頑張ってみたらどうなん!
今やめるんは根性なしと思われるでぇーと言って止めてくれました。
上司も同僚も先輩も辞めたらいかんでぇー辞めたらいかんでぇーと言ってくれました。「そんなに言ってくれる人がいるのならもう一度頑張ってみたら」と親とも相談をして前代未聞の朝会でもう一度やります宣言をしたわけです。

これが
情けなく朝会でまたやります宣言!
です。
今私がこうしてブレインズで働かせて頂いているのも、あの時止めてくれた社長はじめ、田中部長、先輩の片山さん、三野さん、同僚の山地、大須賀、大谷、たくさんの人の縁でここまで来れたなぁーと今になって感謝しています。
皆も就職すれば色々な場面で、自分の思い通りにならない事が多いと思うんですけども、
私の経験から言うと、自分に合った仕事なんてすぐ分かるものではありません。まず「石の上にも3年」と言うことわざの通り3年間は頑張ってみるんだという気持ちで前向きに、ただ耐えるんではなく、3年間で独立する位の気持ちで、仕事をすれば多分仕事は面白くなると思います。仕事に追われるより追った方がはるかに充実します。これは本当です。
また、3年間経ってそれでも会わなければ転職も考えたら良いかも知れません。

新規事業「人材派遣会社」を作る発表が・・・
背水の陣・・・・・・俺にやらせてください

またやります事件から一年が経ちましたが、
それなりに仕事は一生懸命していたのですが、なんか文章を書いたり、広告の企画作りをするには今ひとつ私は限界を感じていたんです。
それで世の中の流れでは丁度その頃人材派遣法が施工さました。
丁度、その頃社長から新規事業として「人材派遣会社」を設立する発表がありました。そして、出版部の中から人選しますと発表がありました。
6/7私は思い切って社長の自宅に電話をしました。「今から大事な話があるのでご自宅にお伺いしてもよろしいでしょうか?」という電話をしました。
足ったそれだけ電話するのでも、下書きを書き、手が震えていたのを今でも覚えています。それから直ぐに社長の自宅にうかがって「出版の仕事には限界を感じておりますと。社長がもう少しやってみたらドウやと言ってくれ一年経ったんですけども、やっぱり、どうも自分には向かんようなんです。どうか出来たら人材派遣の仕事私にやらせてくれませんか。」とうったえかけました。
社長は一言ヤレ!そしたらヤリナサイと言ってくれました。

その直後の日記には次のようなことが書かれていました。
今日は給料日手取り108000円
現在、仕事は社内報の作成中。今日の3時ごろ社長、事務長、三野さん、山地とで喫茶店へ言った際、社長が皆の前で鵜川が人材派遣の会社をやる事になったと発表した。実際は俺のほうから社長にやらせてくれと言ったのであるが、いざ、やるとなると全く右も左も分からないことをやるのであるから不安も一杯になった。でも俺が選んだ道である。やらねばならない。そしていつかこの俺も社長になって金をガイに儲けて女にモテまくってやる。

これが24歳の鵜川の野望でした。

いよいよ㈱ブレインズ誕生
出版の仕事もしながら、人材派遣の会社設立に向けての準備で毎日が慌しく過ぎていきました。
1986年9月25日 株式会社ブレインズが誕生しました。
開始早々はメイトの事務所の片隅で、机一つと電話機一台、そして従業員は私一人からのスタートです。

まずはパンフレットを作り、書類とかの流れを作っていきます。
人材派遣も、まだ法律が新しく出来たばかりで、勉強しようにも本も在りませんし、今のようにインターネットも在りません。
金も無い予算も無いです。無い無い尽くしのスタートでした。
それでもメゲズニ大学生のふりをして、「卒論のテーマで人材派遣を取り上げるので御社のパンフレットを送ってくださいませんか?」と東京の大手の派遣会社に片っ端から電話またはハガキを出して資料を集めました。
その中から料金はどのくらいするんか?
人材派遣法とはどんな内容なのか?
会社のシステムはどうなっているのか?
色々なところの会社の良いところを参考にパンフレットと仕事の流れを造りました。

人材派遣のことを知らないという方もいらっしゃると思いますので、
ここで簡単に人材派遣の説明をしておきます。
人材派遣のキャッチコピーは「必要なときに必要な人材を」といわれている通り、
働きたいと思っている人は、勤務したい希望の場所、時間帯、また、期間、仕事内容を人材派遣会社に登録をしておきます。

企業の方はお歳暮シーズン等での短期的に人手が足りなくなった時とか、産休で事務員さんが休んだ時の繋ぎとして利用します。
そういった企業とスタッフさんの要望をつなぎ合わせる、仲介していくのが人材派遣会社の仕事です。
ただ言葉にすれば単純なことですが、事業として成り立たすには
働きたいという人をいかに集めていくか。
また、人手が必要だという企業をいかに見つけていくか。
そして、その両方をベストマッチングするナコウドのような仕事であります。

まあこういったことが人材派遣。
そういった業務をするのがブレインズになります。

13日間 地獄の訓練
これは、
人材派遣は厚生労働署の許可がいりますので、その許可がおりたのが翌年の1/1です。
会社の体制としても出版の仕事から外れ、人材派遣事業一本に専念するようにと業務命令が出されました。
私は、サーこれから人材派遣だけの仕事をしてイヨイヨ出発だと言うことで、営業活動も出来るとワクワクしていました。ただ実際に、全く営業経験の無い私にとっては、不安も凄くありました。
あのー誰も人材派遣をやったことが無いのですから、どういう風に言ったら良いのか?ということもありましたし、世の中の人が全然知らないと言う事でも不安でした。
そんな時ちょうど、センコー産業グループの社員は、地獄の訓練に行ってもらうと会社命令が出ました。
トップバッターは私と山地という同期の2人が行くことになりました。

何も聞かされていない私たちは、これから凄い地獄があるというのに「13日間も会社やすめるでー、良かったなぁー」「富士山のフモトで非常に空気の美味しい所やし」と言うようなワクワクした、気楽な気持ちで富士山のフモトにある「管理者養成学校」に向かいました。それで電車でコトン、コトンと行くんですけども、だんだんと富士山のフモトに近づき、そこからバスに乗りつぎ民家ひとつ見えないフモトに、学校はありました。
そして、バスから降りると、大の大人たちが肩を寄せ合い声を出して、オンオンと泣いているのです。おい宗教か?異様な光景でした。
そして翌日からイヨイヨ訓練の開始です。
5時半起床、寒中摩擦と共にいよいよ訓練です。
いきなり白いワッパリのような作業着を着せられてですね。
ワッパリの前には20個のリボンがつけられます。
そう20の訓練があるのです。
それを13日間でこの20の訓練に合格すれば、一個一個リボンがのけられ、無くなれば卒業できるシステムでした。
そして、リボンが全てなくならければ卒業できませんと怖そうな教官から説明がありました。
まあ、もちろん礼儀、挨拶は当たり前で食事でひじを付くなんてもってのほかです。
食事の時間、風呂の時間も極端に短く のろ間な私は常に怒られました。
訓練の内容は40キロ夜間行進などの体力訓練、暗記訓練、態度、感情を前面に押し出せるよう駅前で一人声を張り上げて校歌を歌ったりする訓練など色々な訓練がありました。
訓練が合格するこ゛とに一つ一つリボンが取り外されます。
全国から色々な人が集まってくるのですが、30代、40代、のおじさんたちも一緒に訓練をします。年よりは暗記が出来んもんやけんまた、教官にボロかすに怒られます。「お前はやる気あるんか!」と言われていました。当然私も怒られ本当の地獄の訓練でした。
しかし、そんな地獄受けたおかげで、
まあ帰ってから飛び込み営業に早速出たわけですけれども、最初の一週間二週間何にも怖いものが無かったです。この地獄訓練は私に飛び込み営業をする時の勇気を与えてくれたように思います。
地獄の訓練から帰ってきた私は平常時の3倍以上のだみ声で、「失礼します。」と全く知らない会社のドアをチュウチョすることなくトントンと叩いて開けて、飛び込んで行けました。

一人のぼっちの挑戦
これは
地獄の訓練で弾みをつけた私は断られても、断られても挫けることなく企業に飛び込み営業をしてまいりました。
まあ、人材派遣という言葉もあまり知られてなく、ゼロからのスタートの中で、時には「お前学生か」とか、「派遣といってもピンハネやないか」なんかもう心もとない人たちから罵倒されたこともありました。それでも我慢しながら1ヶ月、2ヶ月飛び込み営業を続けました。
しかし、25歳の私が考えるほど世の中は甘くなかつたです。
まあ一ヶ月経っても二ヶ月経っても契約は取れません。
唯一この間、契約できたのは封筒の宛名書きの仕事でした。
当初から「自分の飯は自分で稼げと」言われ続けていましたので、さすがにヘコミ、駄目かもしれんなぁーとあきらめかけたことも何度もありました。
そうこうしているうちにやっと大口のジャスコ(現在マックスバリューイオン)の入力の仕事、富士通グループ会社への事務員さんの派遣。選挙名簿の入力の仕事が入ってきました。
とてもうれしかったです。
まあ、何とか動き始めたブレインズ。
ただ、それ以降非常に過酷な毎日が待っていました。

それが次の
14時間勤務の毎日  湯船のシャンプー
まあ、先ほども申し上げたように、この頃の私は「自分の飯は自分で稼げ」という命令で頭が一杯でした。
自分から人材派遣をやりたいと言った以上は途中で弱音を吐くわけには行きません。しかし、売り上げを上げるための手段も方法も知りません、とにかく朝から晩まで、夜の10時過ぎまで毎日毎日働きました。
その当時10時に百十四銀行の本店から「遠き山に日が暮れて」と言う鐘が鳴っていました。私はそれを聞いて「さあ!もうひと踏ん張り頑張ろう」と仕事をしていました。まあ、家に帰ったらお袋が作ってくれた飯を胃袋に流し込んで、時間が無いので湯船の中でシャンプーをして、また会社、家。また会社、家。もうその往復の生活がシバラク続きました。
今から考えてみても過酷でした。まさしく背水の陣でした。
次に、こんな毎日を過ごしているもんやから
会社が潰れるか自分が潰れるか人を入れてくれ!

まあ、そんな過酷な毎日が数ヶ月過ぎ、さすがの私も体力、気力ズタズタになり事務長に「人を入れてください」とお願いに行きました。
事務長は「人を入れたら、そいつの給与も稼がなんだらいかんぞ」「今いけるんか」と言われましたけれども、まあ、「会社が潰れるか自分が潰れるかどっちかです。まあなんとか頑張りますので人を入れてください」と言いました。
その後一人はめて頂きましたが、翌年東京にセンコーグループの事務所を開くことになったのでその者は東京に転勤になりました。
また、一人ぼっちになってしまいました。まあ、これが会社か?
上の決定一つで動かされるんや。会社わと・・・・・・
これが会社なんだとつくづく思い知らされました。
その時、私はコマには成りたくない兵隊は嫌やなぁーと強く思いました。
そのためにもブレインズを成功させてやろう・・・・・・
ブレインズを自分の会社位にしてやろうと思いました。

瀬戸大橋博覧会で悔しく思った・・・いつかは俺も
また、一人ぼっちに成った私は瀬戸大橋博覧会に派遣しているクリエを見ながらいつかは私も博覧会に派遣できるような大きな会社にしてやると思いました。

それから私はまずどこを目標にするかと考え、まあクリエを目標にしました。
人間目標があれば前向きになれるものです。
会社の財産は、よく「人」「物」「金」と言われます。どの面をとっても勝るものはありません。あるのは私の知恵と心とプライドだけでした。
それから一年が過ぎ二年が過ぎ部下も少しずつ増え、私も平から課長になっていました。
不安定な状況は全然変わっていませんが、少しずつ売り上げも上がってきました。
そして、「クリエの課長には実力では負けないぞ」とか「自分はブレインズの代表だから決して弱気を見せないぞ」と自分に発破をかけてやってきました。

あのー個人的な事になりますけれども、えーそうこうしとるうちに私も付き合っており、私の方も彼女の方も適齢期になって来ました。

不安定な中のプロポーズ・・・そして結婚
まあ、これは個人的事になるのですが、いくら個人的といっても、会社でのお給料があって生活がある、ということですから彼女のほうには「いつ潰れるかも知れんけど、潰れても食わしていくから結婚してくれ!」これが私の27歳の時のプロポーズです。と申しますのも「会社の売り上げ」「社員の定着」「私の営業力」まだまだ未熟で、まあ、例えるなら平均台の上を歩いているような状態でした。いつ落ちてしまうかわからない。それでも彼女はOKをくれました。
28歳の11月3日私たちは結婚しました。この文化日に13年になります。
何とかやっています。

人が辞めたり、行方不明になったり、人間不信
結婚してハッピーな日々もつかの間。
結婚したその年度末までに3人がバラバラと一度にやめて私ともう一人だけになってしまいました。
私は何とかこの状況から抜け出さなくてはと社長に求人をしてもらいました。
もちろんこの当時人事権は私には何一つありませんでした。
だから会社が採用した人を受け入れるしかありませんでした。

その後人が入ってはやめ、人が入ってはやめ、人が辞めるもんやけん来るもの拒まずの採用方法。
私より10歳も年上の部下、元船の甲板でペンキを塗って多少のシンナー中毒になって時々手が振るえる人、中には一人暮らしの人で「風邪で休みます」と連絡があったきり、そのまま行方不明になった社員もいました。
心配をして社長と一緒にその人の実家を訪ねていくと、親が出てきて「内の子の事はほっといてください」と冷たく言われました。
今でもなんで彼が行方不明になったんか?
実家のお母さんが何でほっといてくれと言ったのか分かりません。
まあ、とにかく人が辞めるたびに私はリーダとしての資質がないのではないかと真剣なやみました。
また、派遣のほうでもドタキャンをされたり、そのために企業との取引は白紙にされたりと社外でも社内でも常にトラブルが続きました。

後で派遣白書を読むと、どの派遣会社も社員がなかなか定着せず困ったということを書いていました。理由としては派遣業界が世の中にまだまだ認識されていなかった。そのため、派遣の営業は派遣先企業とスタッフに挟まれ、自分が悪くなくても誤らなければならないことが多かったようです。その矛盾から辞める人も多かったようです。
ただ、今では派遣のことを世間が知ってもらった分大分これは解消されてきました。

次に
親会社センコー産業から独立命令
ブレインズがまだまだ苦しんでいる頃、これは1988年位から1991年位かな。
時代はバブルで学生から言うと売り手市場で入社することを前提に海外旅行に連れて行ってもらったり、またあのー、入社したら車をもらった学生も出てきたようなそんな時代でした。
ところが時代は91年を過ぎたあたりから砂のお城のようにバブルは崩壊し始めました。
センコーグループの一番の親会社である兵庫銀行が大蔵省の管轄になり、銀行を立て直す一環として末端の子会社
私どものようなブレインズのような、末端ですね。
兵庫銀行の子会社がセンコー産業。センコー産業の子会社がメイト。メイトの子会社がブレインズと言うような会社ですね。
そういった末端の子会社を切り離しなさいと命令が来ました。
その命令に従いましてセンコーグループから独立をしました。
1993年5月の話です。
私も進んで独立をした訳で無く、明日からセンコーグループでなくなると言う事でなんかのけ者になったような気持ちになり、心理的には凄く不安でありました。

香川県中小企業家同友会との出会い
まあ、独立をしてまもなく、私はある人の勧めでまあ、あの経営的にも不安でしたんで「香川県中小企業家同友会」に入会しました。
その会は社長や幹部が「良い会社をつくろう」「良い経営者になろう」「良い経営環境をつくろう」という目的の元、毎月集まって経営の勉強をします。
社員の定着率の悪さ、売り上げの伸び悩み、と色々な問題が相変わらず起きていましたんで、そこでの勉強会はとてもためになりました。それと同時に同じような体験、同じような悩みでしゃべれる人との出会い、と非常に勇気付けられました。
その中でも高木先生の講演で、会社には生業、家業、事業、企業の四種類あります。あなたはいったいどこを目指しますか?という質問が来ました。これはさすがに気づかされました。その質問は目からうろこ状態でした。
その頃までの私は生業、いわゆる自分が食べるだけで精一杯でありましたし、前にも申し上げたように「赤字を出さない」「生き残る」とにかく生きていかナンダラいかん。と言う後ろ向きのことばかりでした。
だから「いつ潰れるかもしれんで」などいつもビクビクしていました。
こんなことで社員が付いてくる訳ないと感じました。
そして今は生業かも知れんけど、思いは企業的会社。いわゆるお客様、社員のため、自己改善、改革創造に熱心な会社にしょうと誓いました。
入会して10年今でも同友会では勉強をさせて頂いています。疋田先生との出会いもこの同友会でした。
同友会でも共同求人と言うのがありますので是非ご参加ください。ヤフーで「香川県中小企業家同友会」で検索すれば出ますのでいつでも遠慮なく問い合わせください。

センコー産業会社整理により同期テンでバラバラ
阪神大震災は我々のところにも大きな影響を及ぼしました。
ブレインズのかって一番の親会社でありました兵庫銀行は、大蔵省が入り銀行の建て直しを図っていた矢先、震災で本社ビルを崩され、戦後初の銀行の破綻となってしまいました。
それと共に1995年8月店頭上場まで上り詰めた直接の親会社センコー産業が会社整理。びっくりしました。
ブレインズがグループから外された時はのけ者にされたようで悲しかったですが、不幸中の幸いとはこう言う事でしょうか。
独立をしていない子会社がどんどんと倒産している中ブレインズはすでに独立をして2年が過ぎていましたのでほとんど影響はありませんでした。
本当に私は運がいいと思いました。
話はそれますが、大学の頃、自動車のタイヤが転んだ私の顔の真横を通ってガードレールにぶつかってとまった時もかすり傷一つありませんでした。
松下幸之助さんは面接のときあなたは運が良いか悪いかと聞くそうです。
決して運が悪い人は採用しないそうです。
もし、入社試験で運良いほうですかと聞かれたら真っ先に良いほうですと答えてください。
私は相当自分で運がいいと思っています。

しかし、会社が倒産すると言うことは皆が不幸になるということを身をもって感じました。いまセンコー産業は民事再生法により住宅部門だけ残って今も頑張っています。
ただ50人いた同期はてんでバラバラになりました。
その後山一證券、北海道拓殖銀行、百貨店のそごう。そんな大きい所がドンドン潰れていく時代に入ってきました。
今もその傾向は続いています。
だからこそ皆さんに考えてもらいたいのは、自分に力をつける。
自分と言うものを持って、自分で生きて行くと考えたほうがいいと思います。
もうこれからは終身雇用制度はドンドン崩れていきます。
だからこそ、自分を持っていれば働くステージが変わっても生きていけるかです。

夢を描こう  中央通りに会社を出す。
これも同友会で学んだことなんですけども
今テレビでもお酢の宣伝をしている「やずや」の社長。
ちょっと前の日本シリーズでも福岡ドームに「やずや」という看板が書かれているのがうつっていました。そこの創業者。
その社長が福岡の代表理事をしており、一回香川に来てくれて研修をしてくれたことがあるんです。
その時社長は夢を絵に描かなければ実現しないよーと言ってくれたことがあるんです。私は早速、事務所が手狭になっていたので今の倍くらいの事務所の見取り図を書き、出来れば中央通りの一階に事務所を出したいと思っていました。
もちろん賃借料も上がるので売り上げ計画も書きました。
いわゆる目標の到達点がイメージできる格好にしていきました。

思考の中に未来あり!目標を書けば動き出す。
「やずや」の社長の言ったことは本当でした。
書けば人間それに向かって動き出すと言う習性があります。
たとえば、それまでは東京に行きたいと思っていたのに九州に行ってみたり、山口だったりして、いつもふらふらしていた雰囲気です。
ところが絵を描くことで、歩いていく、電車で行く、新幹線、飛行機、色々な手段はありますが絵を描くことによって、東京の方向に向かって、一歩づつ進む。いわゆる方向制が決まるわけです。そうすると必ずその到達点に行けると。
要するに自分自身の思考の中に未来があるのです。
あなたはいったい何がしたいのか。
これは就職活動でも、人生でも、恋愛でも応用できます。
まず何がしたいのか?そしてそれを行っている自分をイメージしてください。
きっと思考回路はそのイメージをかなわす為にあなたの体に命令を出します。そして体はその指令に忠実に動き出します。
これが成功の第一歩やと思います。

念願の中央通りに進出
1997年5月念願の中央通りに進出することが出来ました。
それも偶然にもそごうが出来るため中央通りに会ったパパスの店が急遽そごうにテナント入りしなければ成らなくなり空くと言うのです。
願えば叶うとはこういう事を言うのでしょうか。
また、同年の6月の株主総会で私は社長に任命され当年34歳でした。

また、社長になってからの年月はさらに色々なドラマがあり今日まで生かさせて頂いています。
もう今日は時間がありませんので大学から就職前の1年間から34歳まで私が歩んで来た大きな出来事、時代のうねりの中で生きてきた事を中心に話してまいりました。

改めて過去を振り返らせて頂いた時に、案外私も色々な体験をしてきたものだと自分なりに関心をしました。
ただ、一人一人が人生の主人公であり、十人十色のドラマがあるはずです。
私は自分が得意な体験をしたとは思っていません。
皆さんもこれからたとえば40なるまでに私以上にいろんな体験をしていくことやと思います。
その時に、今はちょっと想像できんことや、理解できんことが私の話しの中にあると思うんやけれども、まあ学生時代ブレインズの鵜川が来て、あんなことも言いよったなーとか、なんか学生のとき聞いたことあるでと思い出して頂いたら幸いです。

最後にあのー最近聞いた講演の中で私が感動した言葉をプレゼントして最後にします。
「岡山で韓国家庭料理ボクデンの経営者」景山社長の言葉です。
命は今皆さんに平等にあります。但し、命は期限が全員にあります。
「あなたは自分の命、なんに使いますか?」
もう一度「あなたは自分の命、なんに使いますか?」
皆さんは3回生が多いと聞いています。
これから自分の人生を考える大切な分岐店点にいます。迷ったらこの「あなたは自分の命なんに使いますか?」ここから物事を考えてみてください。
きっと頭がシャープになって考えられると思います。
今日はつたない素人の話を聞いていただきありがとうございました。
また、私も派遣・職業紹介事業をしている関係上色々な場面で相談に乗る機会が多いです。もし、人生、就職、悩み事があれば遠慮なくメールを下さい。また返事を書きます。
それでは今日はこれで終わります。
ありがとう御座いました。


みんなが今ゼロベース
50歳代の冷や飯
まず私のことをお話しする前にここ最近職業紹介にご登録に来られた年配の方の体験を話させていただきます。と申しますのも皆様以上に皆様のお父様お母様の世代が非常に厳しいんだと言うことを知っとってもらいたいのです。
皆様の家庭環境はわかりません。
アルバイトをしながらこの高松大学に通われていらっしゃる方もいるだろうし、親の仕送りとアルバイトの併用、またはまだすべて養われていらっしゃる方も入ると思います。
しかし逆の、勉学も励みながら家に仕送りをしていらっしゃる方は少ないと思います。
親孝行をしなさいと説教じみたことを申し上げる気もありませんが、せめてご両親がどんな思い出仕事をされているか知ってもらいたいのです。

Aさんの場合
Aさんは52歳男性。一度目の就職先が倒産、二度目の就職先の酒造メーカでは腰を痛めて退職3度目の転職で大手の生命保険会社に入社し、努力の結果、全国17000人の営業マンの中で2番目になり給与もウナギノボリ月給でトヨタのソアラを買ったこともあるそうです。月日は流れ支社長になり多くの部下をもっまでになりました。
ところがある朝ニュースで自分の会社が倒産したことを知りました。昨日まで我が社は大丈夫ですとお客様には言い切っていたのに。その後はお客様におわび、解約手続き等の説明に日夜明け暮れる日々でした。
退職後はあの衝撃から働く意欲も無くなり早くも2年がたちました。その間、家の火災今まで仕事に使っていた上等のスーツもすべて燃えたといいます。
そんな事件があり、また、ゼロからの出発という事で少し吹っ切れ、そろそろ就職活動を開始したところです。

Bさんの場合
Bさんは55歳男性。健康食品、高麗にんじんを中国から買いつけ販売する会社の社長をしていました。当社に電話が掛かって来た時にはなんか上からものを言ってくる親父だなーと感じましたが会ってみて社長業をやっていた事の職業病だと感じました。
ただ、あって話を聞いて見ると奥様を次女が2歳のときになくし、その後男手ひとつで子供たちを育てています。現在高校と中学生でまだ働かなければならないそうです。
ところが高麗にんじんの会社が倒産をして、その後コンビニのフランチャイズに加盟をして6ヶ月間やって見ましたがアルバイト料、光熱費、その他もろもろの経費を引くと10万円しか生活費に残らなかったそうです。残念ながら店をやめる事を決心しました。
子供たちのためにもBさんには頑張ってもらいたいです。

Cさんの場合
Cさんは38歳。学生時代から海外で働きたい夢があり、大学卒業後海外拠点を作る計画のある地元の建材メーカに就職しました。一年半その会社の製造工程、資材の見分け方を勉強して念願の海外マレーシャーに一人駐在員として赴任することが出来ました。資材の買い付け、コンテナーの手配一人勤務ですから24時間仕事です。彼は一生懸命働き、何と年収も1500万円になり、自分の会社を持ちたいという夢を描くようになったそうです。そのためお金もなるべく使わず将来に向けて貯めていました。唯一お金を使ったのは現地の女性との結婚でした。
その後、彼は独立をしてマレーシアに日本に資材を輸出する会社を設立しました。ところが国の混乱のため商社の大手丸紅、トーメン等でさえ現地支社を撤退したほどで、まもなく彼の会社は倒産を余儀なくされました。
無一文で日本に帰りいくつかの転職を重ねて現在失業中です。
詳しくはわかりませんが、国際結婚というのは夫が働いていないと養えないので奥さんは現地に帰らされるそうです。だから今、奥さんはマレーシアで2人の子供とそのご両親と暮らしているそうです。彼は朝ごはん、昼ごはんをビタミンと鉄分のサプリメントで済ませ相当倹約をして失業保険の大部分を仕送りしているそうです。

以上3人のご紹介をしましたが、彼らが特別な存在ではありません。皆さんも私も将来はどうなるか分かりません。只、言えることは社会人になれば妻であり、夫であり、子供であり、両親であり守るべき者がたくさん出来てまいります。
その分強くならなければなりません。今までのように親がいつまでも助けてはくれないということだと思います。

  
タグ :ロハス村


Posted by ロハス村 at 23:06Comments(0)講演